ふと自分の人生の終末を考えて生きるようになってきたことに気づく。
これは、いよいよ人生も佳境に入ったのだろうと前向きに考えることができる。いろいろなことがあった。しかしまだ、やりたいことは残っている。歯科治療はまだその深淵の入り口にも到達していない。歯科医業とは別にやりたいことも残されている(手を付けていないだけだ)。
私の歯科医師人生は、母校の研修医として始まった。
自分の初めての患者さんは、歯学部の(要は後輩)学生であった。奥歯の痛みが主訴で、はたして上顎智歯のう蝕が原因と思われ抜歯とあいなった。撮影したオルソパントモ写真に歯牙種と思われる所見があり「初めての患者でこれは、君は持ってるねえ」と口腔外科の指導医に言われたことを思い出す。主義的に難しい抜歯ではなかったが、なにせすべてが初めての研修医にとっては診断から説明から施術からすべてが緊張の連続で卒倒しそうであった。浸麻と歯周靱帯の切断までは問題なかったが、ヘーベルを近心頬側隅角にかけて脱臼させるところがうまくいかず指導医と交代した記憶がある。
それからも担当する患者が口腔外科の症例になることが続いて、口腔外科の指導医から「縁があるんじゃない?ウチに来なよ」と誘われたものであった。
悪い気はしなかったし、学生時代から口腔外科は好きだったので食指が動いたが、その一方、私は将来的に実家に帰って親の跡を継ぐGPになると考えていたことと接着歯学に強い興味があったことがあって思惟逡巡した。また、口腔外科の授業で口腔外科の講師自身が「口腔外科専門の病院を開業しても食っていけません」と述べていたことや、「口腔外科に行く連中というのは、聴診器をぶら下げて病棟を歩きたいだけ」とか「医者からバカにされてる連中」という陰口を聞いていたこともネガティブ要因としてあった。
今にして思えば、将来はなるようになるし、ネガティブ要因も「所詮は第三者の戯言よ」と聞き流して、口腔外科の専門医を目指して粉骨砕身、修行を頑張ればよかったのだ。平凡なGPになって分かったのだが、口腔外科の知識と技術に長けた歯科医ほど地域から望まれる人材もないのだ。
もっとも、自分の選択してきた進路に後悔の念はさしてない。
ただ、格好つけて言えば口腔外科に行かなかったのは若さゆえの蹉跌というやつで、本当のところは私に決断力がなかっただけだ。
大鐘稔彦の名著『外科医と「盲腸」』に、外科医の世界では「外科はアッペに始まりアッペに終わる」という教訓が語り継がれているというくだりがある。同じように、口腔外科にも「口腔外科は抜歯に始まり抜歯に終わる」という教訓がある。
外科医であればアッペ(虫垂炎)がそうだが、口腔外科医にとっては抜歯の診断からリスク把握、処置の遂行、適切な術式の選択と施術、誤診時の対応からエラーを起こした際のリカバリーに至るまで、そのすべてに対応できるようになればまず一人前である、という意味が透けてくる。箴言のように思える。
私自身は抜歯術に対して得意でも不得意でもないといったところだし、智歯の抜歯にしても手に余る難症例でなければ紹介せず自院で抜歯するようにしている。抜歯の秘訣は、まず第一によく効く局所麻酔であると考える。これは臨床的には「痛くない浸麻」というところでは半分正解であり、患者に無用な不安や緊張を抱かせない心理コントロールから確実な伝達麻酔の駆使をして及第点に及ぶと考えている。多くの歯科医師が考えておられる通り、「痛くない抜歯」とは言葉にすると簡単でも、実際は奥深く難しい。似たようなケースであれども同じ症例はひとつもない。
こういうこともあって、私は完ぺきに満足のいく上顎智歯抜歯ができたら、それこそ自分の歯科医師の最後の仕事にしてもいいと考えている。多分にロマンチストかもしれないが、初めての症例が上顎智歯抜歯であったのだから終わりもまた上顎智歯抜歯であってよいだろう。
簡単に抜けましたよ。多少の出血もありましたが今は止まっていますから安心してください、と患者の手を取って終わりを迎えられればいうことはない。『なみだ坂診療所』の織田鈴香の最後の患者が膝小僧を擦り剝いて泣いている女の子であり、『ER緊急救命室』のグリーン先生の最後の患者がトゲが指に刺さった女の子であったように。
グリーン先生はきっと、女の子の指のトゲを抜いた瞬間に思い出したのだ。かつて愛娘のレイチェルも、指に刺さったトゲを自分が抜いたことがあったと。だから、医師としての自分に別れを告げて残りの人生をレイチェルのために使う父親になること決心したのだと思う。そこには、曇りのない悟りがある。
学生時代、歯学概論の時間に「患者とは、心に櫛が刺さった人のことである」とならった。医者は、病を憎み患者を愛せよともならった。実際の患者は、わがままでスケベで指示を聞かず我儘で無礼さを兼ね備えていたりする、何のことはない我々歯科医師とまったく同じ人間であったりする。それでも歯科医院を訪れる患者は、歯痛をはじめとする生活の痛みを心に刺している人たちだ。医療の根源は手当てにあるときいたことがある。苦しみ煩悶する人に寄り添い、患部に手を当て苦しみを分かち合う心に癒しがあるのだと。病を抱える人のそばで訴えを聞き、安心させて、手を添えることであると。
歯科医師も長くやってると仕事への慣れがでてきて、望まれないアイデンティティに染まってしまうものだ。せっかちで、話を聞かず、怒りっぽく、損得勘定ばかりがはたらき、とかく独りよがりな歯医者になる。私も、そうだ。でも、これは良くないことだとわかっている。乱れた心理に整合性を与えようとアレコレ思索しても解決することはない。バラバラになっている部品を箱に入れてシェイクしても決して元には戻らない。臨床の場で自分で解決するしかない。最後の患者はまだまだ当分、先の話になりそうだ。
2023年08月15日
2023年05月12日
贔屓の技工士さんにサブスクしたいっ
最近の動画のライブ配信では、配信者に対してリアルタイムでサブスク(投げ銭)をすることができたりする。サブスクをすると、コメント欄に「○○さんが✖︎✖︎円のサブスクをしました」みたいな通知が出るようになっていて、サブスクに気づいた配信者から謝辞やコメントがもらえたりする。配信者側はお小遣いが貰えて単純に嬉しいし、サブスクした側も特別な好意を持つ相手(推し)から特別な扱いを受けるわけですから嬉しいわけである。使い古された表現ですが win-win な関係というやつである。
これらをして私が思いついたのは、いつもお世話になっている歯科技工士さん(以下、テクニシャン)にサブスクができないものだろうか?ということである。
納品された歯科技工物が極めて良好な出来でセットできたとしたら、これを作製してくれたテクニシャンに「良いね!」したくなるのは、SNS全盛な世の中であることに関わらず人情というものであろう。
当院ではまだ導入していないが、口腔内スキャナーによるデジタル印象が一般化してくれば、歯科技工所との連携はより効率的になっていくだろう。歯科医院と歯科技工所との関係も濃密になるのではないか、と思う。従前の技工指示書にドクター側が文章で注文をつけている段階から、作成してくれるテクニシャンとオンラインで打ち合わせも可能になっているからである。リモートワークは、当然のように歯科医療現場でも活用できる(ただ、テクニシャンは奥手な人柄の方が多いと聞くので嫌がられるかもしれない)。
顔が見えている相手に気合の入った技工物を作ってもらえるというのは、臨床上、歯科医師冥利につきることであろう。これは良い流れのように思える。
我々は送られてくる技工物をセットするだけではなく、その先の、技工物を作成してくれたテクニシャンの存在を忘れてはいけない。自分で歯科技工物を作製するのであれば話は別かもしれないが、今時、そのような歯科医師は絶滅危惧種であろう。
技工所との付き合いによっては、自分の技工物は決まったテクニシャンが担当になってくれたりする。その場合、言葉だけではない謝意を伝えるべきではないかと考える。寸志というやつである。
しかし、いくら寸志といえど相手が恐縮するほど高額であってはならない。色々な面で迷惑をかけるからである。受け取る側が負担に思わず、嬉しさだけを素直に持ってもらえるようなものが相応しいと考える。
このあたり、急ぎの場面でタクシーを拾って命拾いならぬタイム拾いをしたような場合、会計時にわざと釣り銭が出るような支払いをした上で「お釣りはいいですので、運転手さんが取っておいてください」と言って立ち去る昭和的な男のマナーに通じるものがあると思う。ほんの数百数十円だけれども、もらう側は棚ぼた的な嬉しがあるので気分も良い。遠慮のいらない額だからこそである。次の客を拾ったタクシーは、気持ちの良い接客をするだろう。客も、良いタクシーを拾えたと気分が良いに違いない。小さな善意が転がって世の中が明るくなるのである。
まあこれは書生論に近いものだろうが、テクニシャンに小さなサブスクをすることが悪いことであるはずもない。
現状、素晴らしい技工物を気持ちよくセットできたからといってテクニシャンに「良いね!」することもサブスクを送ることもできない。IT全盛なのだから、本来は指先ひとつでできてもよさそうなものだ。でも、できないので仕方がない。私は、石膏模型と指示書を受け取りに来てくれる担当者に言伝のように頼んでいる。贈り物は500円のQUOカードがせいぜいである。なんらかの折にQUOカードを入手することがあるのだが、あいにく私はコンビニを利用することがないのでこれを使うアテがない。そこで嫁や友人に渡すことが多いのだが、その送り相手にテクニシャンが加わるだけである。なんの意図も気負いもないのである。
もっとも重要なのは、正確で美しい作業用模型を提供することである。
しかし、怠惰に生きる私はその使命を充分にこなしているとはいいがたい。そんな私の不調法をカバーしてくれるような素晴らしい技工物を納品してくれるテクニシャンにはいくら感謝してもしきれないのである。
2023年01月17日
歯科技工について考える
数十年ほど前は、多くの歯科医師は時間を作って歯科技工を行っていたのであります。作業模型に始まり、個人トレーやメタルインレーやフルキャストクラウンなどは当たり前のように自分で行なっていたものです。それでも時間的に捌き切れないので、キャパオーバーの分を、近隣の歯科技工所(概ね、個人が営む自宅兼技工所)に依頼していたのです。私の父は、いまでこそ技工作業はあまりしないものの、昔は仕事が終わってから夜間に歯科技工をしていました。自分が頑張って働けば働くほどお金が稼げた時代、とも言えましょうが、その実は、そうでもしなければ診療がおっつかないほどの技工物オーダーがあった多忙時代だったのです。私の幼い頃の記憶にも、技工室で働いている父の姿があります。
さて今の私は、仕事が終わってから技工作業をすることはほとんどありません。
楽なのは良いですが、歯科医師として堕落している気持ちがしてなりません。歯科技工は歯科技工士の仕事でありますし、歯科医師が歯科技工士顔負けの技工仕事を毎日する必要はないことは分かっていますが、歯科技工から離れれば離れるほど、歯科医師は、その臨床能力が伸び悩んでしまうのではないか、確証もなく、そのような思いに駆られるからです。
かつて研修医〜医局員時代は、印象採得したらそれを技工室に持っていき固定液に付けておき、その診療後に石膏を注いでおき、硬化したタイミングで作業模型〜咬合器のマウントしておき、医局の仕事が終わった後に技工室に行って技工作業をしたものでした。誰でも利用できる技工机が数台、用意されていて、同期と席を譲り合いながら、次第に自分のお気に入りの机と縄張りが出来始めて、深夜ラジオ(SCHOOL OF LOCKが始まってからが本番)を流しながら作業をしていたものです。そのうち、技工作業に熱心なものとそうでないものとに分かれていき、技工室で会うのは馴染みの顔ぶれになっていくのでした。
私は頑張って自分で技工作業をしていましたが、全員の中で一番、見栄えの悪い「整然としていない」作業をしていたと思います。ノロマで、効率が悪く、仕上がりも悪い。だいたい、歯科技工の腕の良いやつというのは簡単に分かるもので、まず第一に作業していて綺麗なのです。作業スペースから技工器具から、なんなら姿勢に至るまで、全てが常に綺麗なのであります。
例えば、私がマウントした咬合器と彼らがマウントした咬合器は、もう見た感じからしてオーラが違う。そもそも、マウント用石膏が余計な場所に一切はみ出ていないし表面も乱れていない。いきおい、咬合器と石膏のコントラストが実に鮮やかで見目麗しいわけです。一方、私の咬合器は「男は中身だ見た目じゃねえぜ!」とダメ男が吠えてるようなモノで小汚い。どちらが効率的に美しい作品を仕上げるでしょうか?答えは言うまでもありません。
もし今、この記事を読む歯学生がおられるなら、実習は「綺麗に作業する」ことをアドバイスしたいと思います。常に綺麗に作業する、綺麗な仕上がりを目指す。こうしたことを念頭に作業するのとしないのでは、結果に大きな差がでます。「見た目」なのです。やるからには美しく、の精神です。
これは歯科技工に限らず、いかなる分野の職人も、一流は必ず綺麗に作業する(そして速い)もので例外がありません。当院にいつもインレーやキャストクラウンや前装冠やHJC、CAD/CAM冠、メタルボンドその他の技工物を作ってくださる提携先の技工士さんの机は常に綺麗なはずですし、あらゆる作業が「場を汚さない」所作になっているはずです。
当時、仲良くしてくれた歯科技工士さんにお手本のレジン前装冠を目の前で作ってもらったときはその速さと仕上がりの美しさに舌を巻いたものでした。支台歯はこんなふうに形成してくれると嬉しいとかスチュアートグルーブの付与とか、色々なことを教わったものです。
歯科技工士の指先のマジックは、もっと世に知られるべきだと思います。
それらをウェブカメラで中継して歯科技工の世界の凄さや魅力を配信するラボが出てくるかもしれません。
2022年12月23日
なにっメタルインレー修復
隣接面う蝕の治療といえばメタルインレー修復、そういう時代がありました。学生実習でも、隣接面う蝕の治療として間接法のメタルインレー修復を習ったものです。もう少し前の時代なら、窩洞に軟化させたインレーワックスを圧接してパターン採得して埋没・鋳造に回していたのかもしれません。
今はもっぱら、隣接面う蝕の治療の第一選択は接着性レジンを用いた直接法でありましょう。窩洞の大きさもその修復法も、全てはう蝕の大きさに決定づけられますが、接着性レジン修復の歯科材料としての向上とテクニックの発達によって、かなりの規模の窩洞であれ直接修復が可能になったように思います。それが無理ならCRインレーおよびCRアンレー修復でしょうか。保険診療で可能だからです。もっとも、私の拙い経験での所感では、CRインレーはメタルインレーよりも臨床成績は劣ります(脱離では破折してくる)。修復物が歯に対する人工臓器と考えるならば長期的に安定して機能してもらわないといけませんが、CRインレーはどうもそのへんの信頼感がないというか、安定性に欠けるからです。セラミックインレーは臨床経験が全然ないので偉そうなことを述べることができません。
とりあえず昨今はメタルフリー修復時代といえます。
週刊ポストあたりが歯科バッシングを目的に「金属性修復物は必ず二次カリエスを起こしてダメになる」みたいな論旨でかつ接着性修復を絶賛していた記事を出していたことがありますが、メタルインレーが二次カリエスの発生源だと思って治療している歯科医師は少ないと思います。
教科書通りに作成されたメタルインレーは、窩洞に吸い込まれるようにフィットします。実習であれ研修医時代の症例であれ、どんな歯科医師であれ「自分が形成した窩洞に見事にフィットするメタルインレー」の経験はあるものです。一方、CRインレーはなぜかあまりこういう動態をしない。隣接面窩洞を含める直接法の接着性レジン修復では、歯質とコンポジットレジンの境目にギャップがないかを強く腐心することはあれど、フィッティングについては意識しません。このときに意識することがあるとすれば、軟化象牙質を取り残さなかったかどうか、修復処置を始めてもよい口腔内の衛生環境であるかどうか、だと思います。
いずれにせよ、メタルインレー修復が将来的にニ次カリエスを起こすのだとすれば、インレー窩洞の形態に固執するあまりに軟化象牙質を取り残してしまったか、術者の口腔内う蝕リスクの見誤りが原因であるはずです。ここを誤ってしまえば、たとえ週刊ポストに礼賛される接着性修復であれ二次カリエスを生じることになります。根管治療でもそうですが、除去すべき軟化象牙質を取り残してしまっていることで良い結果が出せていないケースは少なくないようです。
もっとも、口腔内の歯科用合金はイオン化傾向うんぬん腐食うんぬん※がありますし「銀歯」としての患者ウケの悪さも自覚しております。また、昨今の金銀パラジウム合金の価格高騰もあって、積極的に選ぶ修復技法ではありません。この人は咬合圧が強くてコンポジットレジン系では破折するな〜とか、患者さんが銀歯大好きマンだったとか、直接法コンポジットレジン充填をするには窩洞が浅くて広範囲とか、条件が揃ったときに検討します。
とまあ、こんな駄文を垂れ流していることからお分かりのように、メタルインレー修復は私のお気に入りです。
学生時代に歯科理工学と保存修復学でメタルインレーの理論を学んだ時、材料の効果膨張だの収縮だのを見事に計算して作り上げていることに感心した覚えがあります。埋没時、スプルー線にゆだまり付与の工夫とかにロマンを感じたものです。
※ボカした表現をしているのは、私はいまだに歯科金属アレルギーに対する明確な知見や指針を打ち立てられていないからです。オススメの教材があれば教えて下さい。免疫学は学生時代から苦手だったんじゃ…
今はもっぱら、隣接面う蝕の治療の第一選択は接着性レジンを用いた直接法でありましょう。窩洞の大きさもその修復法も、全てはう蝕の大きさに決定づけられますが、接着性レジン修復の歯科材料としての向上とテクニックの発達によって、かなりの規模の窩洞であれ直接修復が可能になったように思います。それが無理ならCRインレーおよびCRアンレー修復でしょうか。保険診療で可能だからです。もっとも、私の拙い経験での所感では、CRインレーはメタルインレーよりも臨床成績は劣ります(脱離では破折してくる)。修復物が歯に対する人工臓器と考えるならば長期的に安定して機能してもらわないといけませんが、CRインレーはどうもそのへんの信頼感がないというか、安定性に欠けるからです。セラミックインレーは臨床経験が全然ないので偉そうなことを述べることができません。
とりあえず昨今はメタルフリー修復時代といえます。
週刊ポストあたりが歯科バッシングを目的に「金属性修復物は必ず二次カリエスを起こしてダメになる」みたいな論旨でかつ接着性修復を絶賛していた記事を出していたことがありますが、メタルインレーが二次カリエスの発生源だと思って治療している歯科医師は少ないと思います。
教科書通りに作成されたメタルインレーは、窩洞に吸い込まれるようにフィットします。実習であれ研修医時代の症例であれ、どんな歯科医師であれ「自分が形成した窩洞に見事にフィットするメタルインレー」の経験はあるものです。一方、CRインレーはなぜかあまりこういう動態をしない。隣接面窩洞を含める直接法の接着性レジン修復では、歯質とコンポジットレジンの境目にギャップがないかを強く腐心することはあれど、フィッティングについては意識しません。このときに意識することがあるとすれば、軟化象牙質を取り残さなかったかどうか、修復処置を始めてもよい口腔内の衛生環境であるかどうか、だと思います。
いずれにせよ、メタルインレー修復が将来的にニ次カリエスを起こすのだとすれば、インレー窩洞の形態に固執するあまりに軟化象牙質を取り残してしまったか、術者の口腔内う蝕リスクの見誤りが原因であるはずです。ここを誤ってしまえば、たとえ週刊ポストに礼賛される接着性修復であれ二次カリエスを生じることになります。根管治療でもそうですが、除去すべき軟化象牙質を取り残してしまっていることで良い結果が出せていないケースは少なくないようです。
もっとも、口腔内の歯科用合金はイオン化傾向うんぬん腐食うんぬん※がありますし「銀歯」としての患者ウケの悪さも自覚しております。また、昨今の金銀パラジウム合金の価格高騰もあって、積極的に選ぶ修復技法ではありません。この人は咬合圧が強くてコンポジットレジン系では破折するな〜とか、患者さんが銀歯大好きマンだったとか、直接法コンポジットレジン充填をするには窩洞が浅くて広範囲とか、条件が揃ったときに検討します。
とまあ、こんな駄文を垂れ流していることからお分かりのように、メタルインレー修復は私のお気に入りです。
学生時代に歯科理工学と保存修復学でメタルインレーの理論を学んだ時、材料の効果膨張だの収縮だのを見事に計算して作り上げていることに感心した覚えがあります。埋没時、スプルー線にゆだまり付与の工夫とかにロマンを感じたものです。
※ボカした表現をしているのは、私はいまだに歯科金属アレルギーに対する明確な知見や指針を打ち立てられていないからです。オススメの教材があれば教えて下さい。免疫学は学生時代から苦手だったんじゃ…
2022年11月19日
歯髄の痛みを訴えておられる患者さんの応急処置に酸化亜鉛ユージノールセメント
どんなに歯科治療が進歩しても、どんなに国民のデンタルIQが向上したとしても、歯科医院はやはり「歯が痛いときに駆け込む場所」であります。歯の痛みは人々の生活を慮ってくれません。躊躇なく発動するかの如く、急に起こり得る厄災のようなものです。すれ違う人が思わず距離をとってしまうようなコワモテのお兄さんであっても、急な歯の痛みにはかないません。たとえ歯医者さんが怖かったり苦手だったりしても、泣く泣く歯科医院の門をくぐることになるのであります。
そんなわけで、今日も歯科医院を「歯が痛いんです」の急患患者さんが訪れているわけです。私が歯科医業を営んでいる地域が特別なわけがありません。日本全国の歯科医院におけるルーチンワークなのです。
さてそんな患者さんを苛む歯の痛み、歯周組織が原発の場合もありますが多いのはオーソドックスに齲蝕に起因する歯髄の痛みです。患歯に齲窩があって、そこにから痛んでいるわけです。ちなみに小児の場合は、乳臼歯隣接面齲蝕によって食片圧入が生じて歯間歯肉に炎症を起こしての痛みを訴える場合が多いようです(歯間を徹底清掃して仮封して食片圧入を解消すると容易に回復する)。
もし歯髄に不可逆性の炎症が存在するのであれば全部抜髄の適応となりましょう。
そこまでの症状がなくとも、齲窩に物理的な刺激が加わることで痛みが惹起される状態であれば、いずれにせよ速やかに苦痛から解放する意味でなんらかの処置が必要となります。診療スケジュールに余裕があるなら抜髄や齲蝕の治療に移行すればよいですが、概ね、このような急患対応の場合は時間的余裕がないものです。従って、応急処置が必要とされるケースが多いものです。
ひと昔前の私は、抜髄が適応となるケースの応急処置では「局所麻酔+齲蝕除去+露髄面にペリオドンの少量貼薬」を行なっていました。抜髄が回避できそうなケースでは「局所麻酔+齲窩を徹底清掃+テンポラリセメントソフト仮封」を行っていました。
これは、ほどほどに成功率が高いので重宝していたのですが、結局はアポを取り直して来院してもらった際に再び局所麻酔を施してのリエントリーになることから、応急処置だったことは理解できていても、一方で徒労を感じていました。また、ペリオドンは少量とはいえ、あまり積極的に使用したい類の貼薬剤ではありません。
いつ頃からか、こうしたケースの応急処置には酸化亜鉛ユージノールセメント(ネオダイン、EZ)を利用するようになりました。応急処置の目的として、まず一定水準の徐痛と次の処置まで齲窩を悪化進行させない時間稼ぎができれば良いと考える上で、満足のいくパフォーマンスをみせてくれています。
簡単な術式としては、無麻酔下で齲窩の清掃(遊離エナメル質があるなら、できる範囲で削号除去でエナメル開拡して、食渣やプラーク、ドロドロの軟化象牙質の除去、ADゲル等を用いたケミカル清掃)を行い、窩洞内の水分を出来る限り排除して酸化亜鉛ユージノールセメントの「液(ユージノール+丁子油)」をマイクロブラシに取り、歯髄に近い象牙質面に少し塗布して、酸化亜鉛ユージノールセメントで仮封します。ユージノールのには鎮痛消炎作用があるので、それに期待する物です。古い歯内療法の教科書を見ると「歯髄鎮静消炎療法」として堂々とページが割かれています。ちょっと忘れ去られているテクニックかもしれません。重要なのは応急処置で終わるのではなく、その後の経過判断と処置になります。
酸化亜鉛ユージノールセメントは、現在の歯学教育の現場でどのような扱いのセメントか分かりません。若い先生は知らないということはないと思いますが、臨床で使うことはない、という先生がおられるかもしれません。言ってみれば、歴史的な、古典的な旧世代のセメントですし、昨今の臨床現場ではマイナーな存在ではありましょう。
しかし私は、この酸化亜鉛ユージノールセメントの臭いは、幼い頃に父親の診療室に足を踏み入れた際に必ず嗅いでいた臭いでもあり、馴染みのあるもので、郷愁的なものです。個人的に思い入れが深い歯科材料のひとつなのです。そういう意味で、少し贔屓している気持ちがあり、忘れ去られて欲しくない歯科用セメントだと考えております。
さてそんな酸化亜鉛ユージノールセメントですが、昨今の「粉と液およびペーストとペーストを混ぜ合わせればセメント泥でござい」な簡便な仕様とは異なります。ユージノール油が染み込まない練板紙の、菱形になっているものを使用します。なんで菱形やねん、と申しますと、酸化亜鉛ユージノールセメントは、粉と液を混ぜるのではなく練り込んでセメント塊を作るもので、練り込みのため力が必要です。利き手ではない反対の手の親指と中指を使って菱形の連板紙をしっかりと把持したままスパチュラで練り込まなくてはならないからです。ちょっと時間がかかりますが、練り上げていくと一定の弾力を持つ塊になってきます。これをスパチュラで転がして丸太状にして、あとは充填器で任意の長さで切り取るようにして使用します。一滴のユージノールの驚くべき量の粉を練り込むことが出来て面白いセメントでもあります(その分、練り上げには時間がかかります)。
加えて面白いのが、練り上げてからの操作時間に余裕があること硬化反応です。酸化亜鉛ユージノールセメントは、水に触れて硬化が開始するからです。窩洞に目的通りにセメントを充填したら、あとは窩洞内の水分や口腔内の湿気で硬化が進行してくれます。
いいことづくめですが、ユージノールはレジンの重合阻害材なので、昨今の接着性レジンとの相性は最低最悪です。そういう意味では、接着性レジン修復が全盛の現在の歯科臨床では取り扱いが面倒なセメントでもあることは間違いありません。しかし、それを上回るメリットとユニークさをもつセメントであり、私自身は愛用し続けているセメントでもあります。物性や特性を理解して、状況に応じて使い分けることができればそれで良いのだと思います。