卒後に購入して、いまだに愛用している本
局所麻酔で重要なのは「痛くなくてよく効く」浸潤麻酔である、と我々は考える。その通りである。痛くない麻酔は、望まれる歯医者のひとつの条件であることは間違いない。歯科医師は、その職業人生の中で常に「痛くなくてよく効く麻酔」を追求していべきであると思う。効くのが当たり前になったら、次はより少量の注射量で効かせられるように、という風に。
その一方で、伝達麻酔がおろそかになっている歯科医師は少なくないのではないか、とも思う。卑近な話で恐縮だが、私の母校や研修先、関連バイト先の医院など、あらゆる臨床の場で伝達麻酔を行なっていたドクターの姿を見ることはほとんどなかった。理由を訊けば、浸潤麻酔で十分に麻酔効果が得られるし、伝達麻酔は偶発事故のリスクがあるから、と判で押したような返事であった。しかし私は見たのだ。局所麻酔効果が満足に得られず、何本ものカートリッジを浸潤麻酔に費やしていたドクターの姿を…。後輩の手前、「伝達麻酔はあまり経験がないから、効かせられる自信がないんだよね(テヘ)」とは言えなかったのだろうと述懐するのである。もしそうなら、伝達麻酔に興味を示しているその後輩と一緒になって伝達麻酔の習得に励めば良いだけなのに、とも私は図々しく思う。
いずれにせよ伝達麻酔は、我が母校では(今は知らないけれど)不人気なテクニックだったことは間違いない。外来で下顎孔伝達麻酔をしていると「アイツいつか事故をおこす」と陰口を叩かれる始末だった。
テメエの母校の口腔外科の実習で習ったんだろうがさてその伝達麻酔、われらが歯科業界では「伝達麻酔≒下顎孔伝達麻酔」と捉えられるきらいがあるのだが、歯科における伝達麻酔は他に眼窩下孔伝達麻酔やオトガイ孔伝達麻酔や切歯孔伝達麻酔に大口蓋孔伝達麻酔、また頬神経伝達麻酔や上顎結節伝達麻酔らが存在する。
その中でも私が今回の記事でお伝えしたいのは、上顎結節伝達麻酔(Posterior Superior alveolar nerve block)についてである。
このテクニックで得られるのは、上顎大臼歯歯髄、同部の頬側歯肉と骨膜、歯槽骨に局所麻酔効果である。注意したいのは、上顎第一大臼歯のMB根が中上歯槽枝の支配下にあることから追加の浸潤麻酔が必要となる場面があり得ることであるが、少なくとも上顎7番であれば、修復処置から抜髄をこの伝達麻酔だけでまかなうことができる。
そんなら浸麻でいいじゃん。と、あなたは思うだろう。実際、下に比べ上顎の歯槽骨は大臼歯部も多孔性で局所麻酔薬が浸透しやすいことから浸潤麻酔の効果は得られやすい。初心者の頃に上顎智歯の抜歯で、ビビりながら浸麻をして、無事に無痛的に智歯を抜去できて「俺って麻酔も上手じゃん!」と小鼻を蠢かせた先生は私を含めて多いはずだ。あれは、智歯の遠心あたりに注入した局所麻酔薬が患者を水平位にした際に重力によって上顎結節→歯槽孔に至り伝達麻酔効果が発現したからである。
まずお伝えしたいのは、この上顎結節伝達麻酔は浸潤麻酔の拡張版と捉えればよいことである。つまりは、先生方が普段に習熟されている浸潤麻酔の延長線上にこのテクニックがある。難易度は高くないということであり、局所麻酔の引き出しを増やすことができる、ということである。
次にお伝えしたいのは、浸麻針の刺入点を歯肉境移行部に一箇所だけで麻酔が済むことである。これは、表面麻酔による針の無痛的な刺入を可能にしやすいことと、(浸潤麻酔時であれば)歯肉への新たな刺入と局所麻酔注入を必要としないことを意味する。特に後者は重要で、治療部位が刺入による出血の汚染を避けられるので、綺麗な視野で作業ができる気持ちの良さがある。含有エピネフリンによる歯肉貧血現象がないことから、「本当に効いてるのか?」と不安になったりもするが、それは術者側の一方的な認識にすぎない。局所麻酔というのは安全に無痛的に処置ができれば良いのである。
具体的な手技は、先生方の学生時代の教科書に記載があるとおもうのでそれらを参照にされたいが、私なりの手技としては以下のようになる。
1.施入部位を第二大臼歯DB根付近に求める(刺入したらそこに0.05mlほどを注入しておく)
2.刺入した先の方向は、まず咬合平面に対して45度さらに矢状面に対して45度の角度である
3.針は概ね15mmも刺入すれば十分である
4.注入量は1.8mlも要らない
5.2、3分待つ
効果の発現のほどは少し分かりにくいが、処置を行なって患者さんが痛みを訴えなければOKである。
もし痛みを訴えられたら、手順1で設けた浸麻ポイントを利用して浸潤麻酔に移行させればよい。
ちなみに上顎結節伝達麻酔は下顎孔伝達麻酔や眼窩下孔伝達麻酔とは異なり保険算定上の点数はない。
だからといってそのことに腐らず、先生の局所麻酔の手技のひとつとして習得していただきたい。上顎678部の急性炎症で苦しむ患者さんの局所麻酔や除痛に貢献する場面だって訪れようというものだ。
《参考文献》
処置別・部位別 歯科局所麻酔の実際歯科診療で知っておきたい疼痛管理と全身管理の基本