2024年11月21日
【書籍紹介】CariesBook カリエスブック
いつのまにか保険診療の指針に「歯科口腔疾患の重症化予防」という文言が堂々と記載されるようになりました。私のようなロートル保険医は「予防は保険診療の対象外である」、と叩き込まれて育ったものですからいまだに戸惑いを覚えます。俗っぽくいうと「いいんスかこれ」って感じです。保険診療って疾病に対する現物給付じゃなかったのかよえ───っ
とまれ、疾病を治療する上では治療後の再発を防ぐという意味で予防の概念が必要になるのが実情です。保険診療でいうところの予防とは、この考えだと思います。
そもそも疾病になること自体を防ぐ、というのは理想であって現実的ではありません。私自身は、予防というより「管理」という言葉の方が腑に落ちる思いです。管理という言葉は、世相的に管理社会とか管理教育とは如何なものか、と問いただされてきた経緯があるものですから、拒絶感が示される向きもあるでしょう。私も最初は「患者さんを管理ね…」と拒否感がありました。ただ、臨床経験を積むにつれて患者側と医療者側という関係を考えれば、どう足掻いたって管理は必要で、その上でいかに良い結果に繋げていけるかが腕の見せ所であると思い至るようになりました。
さて予防。
歯科でいう「予防」とは、やはり虫歯の予防と考えるものです。明確に防げうるというエビデンスがあるからだと思います。されど歯科医師側にとっては案外に知識の精度が甘かったり、最新情報を追いきれてなかったりするものではないでしょうか。歯科衛生学ってマイナーな分野だし…(非礼な発言)。
知識そのものが学生時代のそれから変化しておらず薄れつつある……という先生は少数派でありましょうが、さりとて常に最新の情報収集に努めてアップデートし続けて、それを自分の臨床に落とし込んでいる、という先生も少数派でありましょう。大多数は、確固たる基本知識を備えた上で、歯科臨床に携わりながらランダムに到来する情報を蓄え、自身の基本知識を自動修正している、というスタイルではあるまいか。はい、私がそうです。
今回紹介する本は、私のような状態の先生の福音書になると思い、紹介します。
分かっていたようで、ちょっと不確かな知識を修正してくれる内容だと思うからです。
エビデンス元も分かるので論文にあたることもできます。コンパクトながら実用的な内容にまとめられており、執筆者の先生はただ者ではない感があります。変態です(褒め言葉)。
カリエスブック 5ステップで結果が出るう蝕と酸蝕を予防するカリオロジーに基づいた患者教育
2024年02月26日
日本歯科医師会雑誌は勉強になります
今月の日本歯科医師会雑誌は、個人的に興味のあるトピックについての質の高い記事が多く、かつ「顎骨壊死検討委員会ポジションペーパー2023」をわかりやすく要約してくれた資料まで付属しており欣喜雀躍した次第。神回ではなかろうか。
思うに、日本歯科医師会雑誌は毎月毎月、格式の高い学術記事を会員に提供してくれるありがたい存在である。もっと評価されるべきである。日歯会員になると当たり前のように毎月受け取ることになるからありがたみが薄いのかもしれない。商業誌の方がキャッチーで臨床家向きの情報が掲載されていると思いがちになるかもしれない。
開業医は商業誌から情報を仕入れる向きがあると思うし、かつては私もそうしていた。
しかし、ここ数年は商業誌を買うのをやめた。
日本歯科医師会雑誌を読めばかなりの勉強になると思いいたったからである。
ビニル封を解くまでもなく商業誌を机に積んだままにしている、というスタイルと袂を分かちたかった。
それでなくとも安くない年会費を収めているのだ。これは読まねば無作法というもの。
大切なのは情報の仕入れ先を手広くすることではない。
新しく得た情報を上手に頭にアップデートして自分の臨床を豊かにするよう行動することである。歯科医師は現役でいるかぎり、勉強し続けなくてはならない。勉強を通じて歯科医師としてのレベルを向上させていくことに成功させなくてはならないからである。
自分を頼って歯科医院の門をくぐってくる患者に常に最良の診療を提供できるよう尽くす気持ちを持ち続けていたいものである。
2023年10月30日
(図書紹介)小児救急 「悲しみの家族たち」 の物語
2005年刊行の古い本である。私はまだ学生だった頃だ。
その頃、小児科のマンパワー不足が囁かれていたし、メディアでは「たらい回し」という表現が踊っていたように思う。医療漫画『ブラックジャックによろしく』でも、主人公が小児科研修に行った時の過酷な現場の描写があったことも記憶に新しい。
コロナ禍の時分だと思うが、「キツい」外科や小児科、産婦人科は敬遠されて皮膚科や精神科を志す学生が増えているのはいかがなものかと、みたいな論をメディアで読んだ覚えがある。私は、若い人がブラックな職場を忌避するのは当然だと思うし、本人も思うところがあって皮膚科や精神科を目指すのだから第三者がどうのこうのいう道理はないと思う。というか、皮膚科にしても精神科にしても、素人がお呼びもつかないキツさのある生々しい世界だと思うし、ルーチンな当直はないにしても肉体的精神的に過酷な現実と向き合わざるを得ない場面だって少なくなかろう。「風邪の時期は儲かって仕方がないわ」と左団扇な、いかなる風邪の診断時にもフロモックスを漫然処方し続けるやる気のない開業医と同一視しているのではないか。
私は、日本の医療の問題点は開業医が多すぎて勤務医が不足しているところに淵源があると考えている。いやお前だって開業医やろと言われたら苦しいけども、歯科は大学に残りたくとも席がなかったりするし、大学以外に歯科医師として生きていく道の拡張性があまりに小さい。
医学部出身の投資マネージャーやコンサルタントが活躍していてもおかしくないけれど、歯学部出身のそれは想像がつかない。厚労省の技官になっても歯科医師仲間から疎んじられるだけで尊敬もされない。ほとんどの歯学部卒業者は歯科医師として、患者に歯科医療という現物給付を行う立場で生計を立てて行かざるを得ないのが実情であろう。
従って歯科医師に求められるミッションは患者を通じた社会貢献といえる。それは日々の歯科診療に真っ当に向き合うことである。つまり、目の前の患者さんの訴えを聞き、心情的に寄り添い、共感の姿勢で治療にあたり、なおかつ患者さんの個別ニーズをできる限り満たそうと頑張ることである。世の中のデジタル化が進みやれAIだChatGTPとかまびすしい流れにあっても、歯科治療の現場は極限なまでにアナログ的であり続けている。この流れは、そう大きく変わらず続いていくだろう。人を治せるのは人だけである。
さて本書は、小児救急をとりまく家族の悲劇のルポタージュである。
致命的な悲劇がなぜ起きてしまったのか。取り返しのつかない事態となったときの無情さが綴られる。
読んでいると動悸が激しくなり、辛くなって仕方がない。特に自殺された小児科医の精神が疲弊していき、自らを自己否定する場面があるのだが、哀しすぎて落涙を禁じ得ない。もし自分が同じ立場なら、耐えられるだろうか?
世間では医者は高級取りだ勝ち組だとみなされているし、それを否定はできないけれども、自身の健康や人生や家族関係を損なってしまうほどの犠牲を強いられている医師が存在する。そもそも医療現場が、少なからず医療者の自己犠牲の精神に依存していたりする。かつての私のメンターが「患者さんのために尽くす精神を大事にするのは当たり前。でも、自分の家族を犠牲にしてまで患者さんに尽くさなくてはならない究極の場面がきたら、俺は家族をとるよ」と述べられたことがある。独身で放逸な生活をしてて、怠惰なくせに歯科治療に甘い理想を持っていた自分は完全に納得できない意見と受け止めたものであったが、今は同意する気持ちしかない。家族の大事さは、こんな自分でも理解しているつもりだ。
医療というのは社会インフラなので、平時は「ちょっと緩い感じ」で現場が円滑に動いているぐらいが望ましいのではないか。その代わりとして、有事の際は総力戦で状況にあたれるよう平時は常に余力を確保しておくという理屈である。けれども、そうであると「医者のくせに暇そうにしやがって」と怨嗟の声を受けたりもするし、元来、病院というのは経営的に働けば働くほど医業収入はあがる仕組みであるから、やはり医療従事者はオーバーワークになってしまうものかもしれない。
共産主義よりは資本主義の方が良いのはいうまでもない事実だが、資本主義が突き進むと新自由主義が台頭し始めて、日本のような程よい社会主義が併存してきた社会が狂ってきたような気がする。民主主義は理想的だが莫大なコストがかかり、国民の衆愚化がすすむと国家の危機に直結するように、新自由主義ほど極端にふれないまま、程よい資本主義のなかで発展を目指す社会になってほしいものである。高校生の頃に「政治経済」で学年ワーストの点数をとって教師に呼び出しを喰らって怒られた私はそんな風に考えて生きているのである。
2022年09月07日
(作品紹介)砂場の少年
1990年頃の中学校を舞台にした小説。
灰谷健次郎の作品らしく、学校教育とはなにか、生徒に対して教師はどのような存在であるべきかを読者に問う内容になっている。理想の教育とは、このようなものである、という作者の具体的な答えが記されているものではない。作者が理想とする教育像が投影されている物語を読んでみて、読者が推し知るしかない。
読んでみて、私は作者の教育者としての確かに温かい心に触れることができた。多感な中学生にとって、本作の主人公のような教師がいてくれれば、とも思う。しかし、現実的に中学校の先生がみんな本作の主人公のような考えで教壇に立つことはないだろうとも思う。作者にしても、そのことが分かっているだろう。だからこそ本作を書きあげていけたのではないか。それも、辛い気持ちを抱きながら。作者は現場の教育や世の中に絶望していた時期であろうから。
この作品より以前に上梓された『兎の眼』もまた、教育を問うものであった。若々しさの中に生々しい逞しさと美しさのある話であった。
私は大学生の頃に灰谷健二郎の存在を知った。その経緯については、いまでは思い出すこともできない。インターネットでなんらかの情報に当たった際に枝分かれ的に検索をかけた結果として知ったのかもしれないし、図書館の本棚で偶然に出会ったのかもしれない。『兎の眼』は文庫本で読んだ。札幌の古本屋で購入した記憶もあるが判然としない。いずれにせよ記憶に残っているのは、極めて大きな読後感であった。本や読書のことをを「知の扉」と形容することがあるが、確かにあの読後感は、扉から新しい世界を垣間見た感があった。矢も盾もたまらず学友に読書を薦めたが、温かい反応は得られず徒労に終わった。
今なら分かるが、本というものは、他人に薦められたからと読み始めるものではないのだ。
ここの中になにか鬱屈とした問題意識があるときに、風に知らされるように(その本の)存在を知った時にふと読んでみようと食指が動くものなのだ。そうしたタイミングで良書に出会うと、それは大概に生涯の一冊の仲間入りを果たしたりもする。人生において色々と悩んでいる時期に出会う本には印象深いものが多いはずだ。お気に入りの作品の多くが学生時代に読んだ本になりがちなのは、そうした理由によると考えられる。
実子もいまや小学生になった。
子の成長や進路を考えてみたり、昨今の子どもたちの学力低下懸念についての記事を読んだり、世に言う「PTA問題」に実際に直面したり、教育現場のブラックさと教員疲弊の姿を目の当たりにしたりもすると、お気楽に歯医者家業をやって生きているわたしのような愚鈍な人間でも思うところがある。そんなタイミングであるからこそ『砂場の少年』に出会ったのかもしれない。
2021年10月06日
口腔外科の知識は潰しが利きます
もし、この記事を現役の若い歯学部生が読んでおられるなら、私は口腔外科系列の知識を網羅・整理・知悉させておくことを強く推しておきたいと思う。
くだらん思い出話であるが、私は歯学部の4年生になったときに、購買で麻生デンタルアカデミーの「実践 口腔外科」を購入して、電車で移動する際は常にそれを読んでいた(この「実践」シリーズは、要は国家試験過去問と解説集である。DESのANSWERシリーズと並んで「定番」だと思うので懐かしく思う先生が多いのではないか)。口腔外科を選んだのは、値段の割に分厚かったのと、当時は病理学が好きだったので、口腔外科は病理と関連性が強そうだと漠然と考えたからに過ぎない。しかし、結果としては良かったのである。
読んでいた、というのは、問題を「解く」ための知識はその時は有していなかったからである。要するに、チンプンカンプン満足に解けなかった。
国家試験では、どのようなことを訊かれるのか?正解を選ぶために必要とされる知識はなにか?を整理するところから始まったわけである。問題を解くための勘所や要領を掴んでいくところから始まったのである。
口腔外科の問題が良かったのは、解くために必要とされるバックグラウンドの知識が、特に基礎科目とつながっているからであった。解剖学の知識から生理学、生化学、内科、病理、となにかしら紐付けされている所があるので復習のようにそちらの勉強をし直すのである。関連性が見えてくると、理解進みが早くなるし、なにより記憶するのが楽になる。これを愚直に繰り返していくと、習ってきた内容の意味が私にも理解できるようになってくるし、バラバラだった知識が有機的につながりはじめ、問題を解くためにちょっと複雑な思考もこなせるようになって行った。こうなると国家試験の問題と向き合うのが楽しくなり始めた。教科書を目繰り返して調べることも苦にならない。分からない箇所のなにが分からないかが分かると、先生に堂々と質問にだって行ける。口腔外科を中心に知識を整理すると、いわゆる医学系の知識が優先されて整理されてくるので、なんとも勉強して賢くなっていく気分が昂揚してくれるのも励みになる。
勉強がつまならいことほどの苦行はない。学問に向き合う姿勢が多少は浅薄であれなんであれ、勉強することに楽しさを見出せることを優先させるべきである。国家試験の勉強に関しては様々なアプローチがあるだろうけれど、少なくとも私にとっては、4年生になりたてのころに実践の口腔外科の過去問(と解説)から始めたアプローチは正しかったように思う。
学生の頃に学んだ印象深いことは、記憶に深く紐付けされるようだ。
私は歯科医師になってからも、口腔外科に関する知識だけは人並み以上にはあったと思う。その全てが、臨床の現場で目の前の患者さんに役立つ「知恵」になってくれたことは少ないけれども、知らないことで(歯科臨床上での)考えが及ばずに恥ずかしい思いをしたこともまた少なかった。もっとも、たとえ恥ずかしい思いをしたら、そのことを素直に受け入れて勉強しなおせば良いのだが。
口腔外科に関する知識があってよかったと思うのは、医療面接や患者さんとの会話のなかで、ふとした拍子に歯科医学からまた少し医学的に寄った専門知識を口にすることで患者さんから信頼される機会があることだ。「眼医者歯医者も医者ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」なんて言葉があるように、歯科医師は医師の範疇にはあれども医者と同格ではないし、医師が知っているべき知識が要求されることはない(というより、歯医者が医者ヅラすると軽蔑されるのがオチであろう)。
このへんの機微は患者さんも心得ているわけで、歯科医師になんらかの医学的知識の乏しさがあったり、チョッピリ痴鈍なところがあったとしても、怒ったり不信感を抱くことはそうないのである(患者さん側からすると、歯科医師に求めるのは自分との相性であったり、優しくて怒らない人柄であったり、恐怖や痛みのない治療を心がけてくれる姿勢だったり、診療期間がなるべく短くしてくれる仕事内容などが遥かに優先される)。
とは言っても、単純な比較論としては頭脳が明晰であって医学的な知識が豊富な歯科医のほうが望ましいのはいうまでもない。しかし、それを笠に着てもいけない。専門用語を口から滔々と流して自分の立場を権威づけするのではなく、自身が専門的な知識を有していることはあなた(患者さん)のためにある、ということを理解してもらい、安心してもらうだけでよいのである。