2017年05月27日

Smile(洋書:ペーパーバック)



まとめ
10代の女の子が前歯に振り回されながら成長するドラマ。米国の歯科が(子どもの視点から)描写されている点で珍しい内容では。


英語が苦手な日本人のために「英語市場」には様々なアイテムがあふれている。昔からも、これからも。それでもなお、英語が使えるようにならない日本人は、よほど英語と相性が悪いか真剣に勉強に取り組まないか、バカなのか。不思議なのは、英語自体への興味はだれしも強く有していることである。英語圏へのコンプレックスなのか憧憬なのか、学生時代に英語に苦労させられたことへの復讐心-征服欲があるのか。敵性外国語に触れるなどけしからん!と声をあげる人は時代錯誤である。小学校から英語教育が始まるのは英語偏重が過ぎるし意味がなかろうと思うので私は反対なのだが、いずれにせよ、日本人のなかで英語が堪能な人は少ないままである。できる人が羨ましい。うむ。

英語ができない私が何を論じても羊羹のビッカース硬さ試験みたいなものだが、英語ができなくても全く支障なく人生を歩んでいける恵まれた環境にあることが日本人の英語音痴の主原因であるように思う。英語はコミュニケーションのひとつの道具にすぎず、道具とは、使わねば腕が錆び付くし、使う機会がなければいつまでたっても使いこなせないままだからである。


私が昔から好きな英語初心者向けの読本に「ビッグ・ファット・キャット」シリーズがある。ヒタヒタと売れ続けるベストセラーであるから、どこの図書館の英語の一角にもあるのではないだろうか。

英語達人列伝」にもあったが、英語上達の秘訣は多読にこそあるとする考えは重要である。ただし、これを真似をしようにも、まずは英語が読めなくてはならない。そこにあって、多くの人にとって「英語を読む」といえば、学校教育が脳裏をかすめるだろう。中学高校のリーダーの時間や試験の長文問題が、頭に浮かぶ・萎える・やめるの三段活用が発動することになる(ならない人は英語ができる人だ)。

「ビッグ・ファット・キャット」シリーズは、とにかく英語の文章を楽しんで読んでいく(その結果として、英語に慣れていく)ことだけに特化させた作りになっており、読むと物語に引き込まれる面白さがある。学校教育の無味乾燥に近い英文とは一線を画し、「とにかくまず英語を読んでみる経験」を積む上で極めて良質的である。そして、英語に慣れ始めたら、是非とも児童書を手にしてほしいとの指南がある。英語圏の児童書は極めてクオリティが高く、大人が読んでも面白く、難易度調整が容易だからだという。特にペーパーバックが入手と価格の面でオススメされる。

ペーパーバックに代表される洋書は、不思議な質量感と魅力に満ちている。読めなくても、手元にあると特別な嬉しさを感じる質量がある。本と英語が好きな人であれば、この感情が理解できるだろう。本棚に置くと雰囲気が締まるのである。


smile.jpg
エンドドンティストも登場するぞ!

そのなかで紹介されていた「低難易度の児童書」が、この『Smile』である。

漫画だこれ!という驚きと、これなら読めそうだわいという安堵感、歯科が登場することへの興味が入り混じるステキ具青。米国の歯科事情が、その医療費の面はなんら語れてはいないものの、子ども視点で描かれるのは珍しいものかもしれない。

教科書な英語からちょっと離れた会話中心のテキストであり、文章量と英文解釈の難易度はそこまで高くない。直訳して意味を取っていくというより、英語の会話のリズムやテンポを楽しむ感じで読んでいくと良さそうだ。ああ、こういう会話をするのね、みたいな。

表面的ではあるが歯科の内容がふんだんに含まれているので、医院の待合室に置くとサマになりそうである。矯正専門の歯科医院とかは独自の瀟洒な雰囲気があるものだから、とくにマッチしそうだ。患者さんに「先生、ここのコレどういう意味?」と訊かれるリスクは織り込み済みでなくてはならないが、なんとなるだろう。それぐらいの難易度の本。普段から論文を読まれている先生なら楽勝だろう。私はそうではない。ガハハ がっでむ。

posted by ぎゅんた at 13:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

【所感】沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉


「アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひく」という有名な言葉がある。日本はアメリカ経済の影響を常に受けるモノという、元々は経済的なニュアンスを含む言葉であったかに思う。個人的には、「アメリカのあらゆるスタイルは、あたかも潜伏期のように、一定の期間を経て日本にも導入される」ことと同義だと考えている。要するに日本はアメリカ様に服従している属国だということだ。この辺の考察を始めると多分に政治的な話題となってしまうが、事実であろうことに疑いを持つ人もおるまい。

政治と宗教の話題はタブーであり避けるべき題材だが、この際に述べておくと、私は消極的自民党支持者である。自民党というのは、平均以上の能力を有する人材が「国家国民のために働く」ことを最低限の信条として、民主主義の申し子のツラをして雑多様々な理念とそれに基づく政策を推し進める手練手管に長けた老獪な政治集団であるように思う。ガチガチの保守政党と思ったら大間違いで、意外にもリベラルな考えの議員も多数いて、それをグループとして上手に包括している(ある程度、互いの思想理念信条を容認している)ところがある。

現政権は保守色が強いが、その正体はアメリカ仕込みの新自由主義が幅を利かせている。私はこの新自由主義が嫌いである。政治というのはベストではなくベターを選択するものであり、最もマシなバカに任せざるをえず、そして選挙とは「薬に化けるかもしれない毒を選ぶ行為」に他ならない。新自由主義を前面に出したいまの自民党が最もマシなバカなのであって、野党はそれ以下なのである。なんと悲しい現実であろうか。


さてアメリカであるが、これほど極端で反面教師に適した国家はない。日本にとって参考になる政策など皆無であろう。もうほんと問題点だらけで、なにが自由の国かといえば、民間企業が営利追求のためにやることが自由の国なのであって、悪魔と契約したのではないかという非人情さに満ち溢れている。アメリカで自由の国だと人生を謳歌する生活を送る人は富裕層だけであり、それ以外の人々は、ただ搾取されるだけの養分に過ぎない。そしてその搾取のシステムが実によくできている。義理や人情は一片も存在せず、全てをただ金に変換する悪魔的システムが構築されている。このへんはリベラル愛国者であるマイケル・ムーアの一連のフォルムに詳しい。まとめて言うと、現状のアメリカ社会の問題のすべての淵源は新自由主義の徹底およびマネーゲームにある。「Sicko」をみれば絶句すること必定である。アメリカは、傍目にウォッチングするには興味深くこれ以上なく面白い国であるが、同時に、絶対に住みたくないと思わせてくれる国でもある。

全然この本の紹介をしてないじゃないかと怒られそうなのでこの辺でやめる。

本書では、「アメリカにゃあ絶対に住みたくない」国であることが、尋常ならざる医療費(介護費・介護負担)と保険制度の面から語られる。著者は日本人だが、おそらくアメリカが好きなのだろう。だからこそ、大好きなアメリカを憂いているのである。マイケルムーアと同じだ。そして、日本の国民皆保険制度が奪われずに存続されていくこと、医療現場の歪みがなくなることを切望している。

本邦の国民皆保険も、その制度の維持の上で様々な病根を抱えるが、たとえ問題があったとしても、国民皆保険制度があることがどれだけ幸せであるかは国民全員が理解しておかねばならない。どんなに優れたものを持っていたとしても、その価値に気づかなければ隙を作ることになり、狙っている連中に掠め取られてしまう。国民皆保険制度が崩壊した後に残っているのは、いまのアメリカの姿である。

ときおり、「アメリカ並になった」と、あたかも先進的なニュアンスを込められた例えを耳にしたりすることがある。もうお分かりのことと思うが、ここに好意的な意味はない。「地獄の一丁目に足を踏み入れた」がせいぜいのところである。「アメリカ並」でいいのは、人生を楽天的に生きるしたたかなポジティブさとか、大排気量OHVエンジンの底抜けのロマンとか、ステーキ肉のサイズぐらいのものだろう。それ以外は申し訳ないがNG。
 
新書だし読みやすい本なので2時間もあれば読める。ご興味があればどうぞ。
 
posted by ぎゅんた at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

書籍紹介『指導・監査100%合格のカルテ』



昨今、市井の開業医を脅かしている存在が「指導・監査」であります。
架空請求などせず、実態通りの、ルールを遵守した保険診療をしているけれども、なぜだか恐れてしまう存在といいましょうか。やましいことなどしていない身上たれど妙に緊張してしまう有様は、用事があって訪れる職員室や警察署と同じであります。

「指導・監査」に関しては、歯科医や業界関係者らの間で様々な揣摩臆測が流れていて、とにかく月あたりのレセプトの平均点数を下げることに徹するべきとか、歯科医師会に入会していないと目をつけられて指導に呼ばれるとか、役職につけば回避できるとか、もうなにがなんやらパニック。新規指導を除けば、「指導・監査」に選ばれるのは、苦情や不正請求の通報が寄せられた医院や、月あたりのレセプトの平均点数が高い医院(不正請求を疑われる)であることは確かなところのようですが、とにかく、様々な情報が錯綜しています。

歯科診療所にかかる患者さんや院内スタッフ、関わりある業者からの「○○歯科で、これこれこういう悪事があります」みたいなチンコロを入れられての監査は、火のないところに煙は立たずで、疑惑の目で見られることにも納得もできましょうが、平均点数が高いから選ばれるのは腑に落ちない。不正請求や過剰診療をしているから平均点数があがるのだって?市井の歯科医が声を潜めてまことしやかに語る「国は平均点数を萎縮させて下げることで歯科の医療費を抑制している」という疑念が湧き出でる。誰しも、疑われるのは気分が悪いけれども、疑うことには躊躇がない。

「指導・監査」事情に関して、私がアレコレ述べることはできません。詳らかな内情をなにも知らないからです。私が考えていることは、結局のところの諸々の禍根は「架空請求」「カルテの不備」「保険診療のルールを理解していない」ところにあり、これを解消することが解決への糸口になるだろうということです。特にカルテ記載の認識があやふやなままであることが原因で、「指導・監査」に怯えた日々を過ごす結果になっているのではないか、ということです。また、保険診療のルールの正確な理解も欠かせません(保険のルールは多岐にわたって複雑なので、知らずに間違ったことをしていることはありえますが、誤りがないよう理解する勉強が必要)。架空請求は犯罪行為ですから問題外の外です。



意識化での感情的な攻防戦
技工所から送られてきた補綴物の適合がイマイチだった時、我々は自身の形成や印象、石膏模型とその精度に問題があったことをまず疑います。しかし、こと保険診療に関しては、我々は保険医でありながら自身の不備を反省する前に国や保険者を敵視する姿勢をとりがちです。歯科医が裕福でなくなり、ゆとりと余裕が消えてしまったからこその心理ではと考えます。なんでも奪い合う社会になったといいましょうか。定められたルールを自分は遵守しているかどうかを、今一度、見直す必要があります。敵視してもなにも始まりません。



カルテの肝はコメント記載にあり
架空請求などせず、保険のルール(算定の要件の理解)に精通し、レセプトの返還などが殆どない先生が殆どだと思いますが、コメントの記載はいかがでしょう?初診時の主訴やエックス線撮影時の所見記載、次回の予定診療内容の記載などは行っておられると思いますが、それは充分ですか?一行以下で済ませてませんか?コメント記載をすべき処置で、コメントの記載を省いていませんか?コメントは、レセコンに予め用意されたテンプレ文章を貼り付けているだけではありませんか?

うるせー!!

と怒られそうですが、実は私も、コメントの記載はする方だと自負していながら、かなり不足していたことに気づかされました。というのは、SNSつながりの先生経由でその存在を知った「マンガで学ぶ 歯科個別指導 24ページ」の著者・小出一久先生の新刊「指導・監査100%合格のカルテ」を読んだからです。保険診療のカルテに関する本、と聞くだけで難しそうとか読みたくないとか気分が萎えますが、大仰でなくこの本はすべての保険医が一読しておくべき内容です。価格設定を間違っているとしか思えないほど安いですし、読みやすい文体でまとめられています。「指導・監査」に関する信頼のおける情報が得られ、その対策を学ぶことが出来ます。

本書を読んで私が膝を打ったのは「コメントを充実させること(40点につき一行が目安)」ということと、再診時にも一行のコメントを記載することのふたつでした。セミナーや本で得た知見は、次の日ではなくその日から即実践するのが秘訣とばかりに、実際は次の日になったわけですが、コメントの充実を目指したカルテを目指しました。診療の隙間時間や処置後の会計までの時間に文意の齟齬や誤字脱字のない記入は難しいですから、コメントの充実は昼休みや診療後に持ち越すことになる場面もでます。正直、面倒だなと思わないでもありませんでしたが、幸いに私は普段からキーボードで文書を打つ機会が多いことから、とりわけ多くの時間は要しません。実行してみて気づいたのは、これらコメントを充実させることで、診療の流れが客観的にとても理解しやすくなることです。また、再診時に経過その他を記入するとこれが加速します。治療全体の流れが驚くほど鮮明化します。その患者さんに施す治療のテーマが鮮明になることで診療の精度向上につながるのです。

再診時には初診時の患者の主訴が解決されているかの確認を行い、また、再診その日の主訴と向かい合うべきであると唱えられたのは谷口威夫先生(『6ミリ以上の歯周ポケットも改善できる8つの階段』より)ですが、再診時に経過やその日の主訴を確認する(そのことをハッキリさせて、解消していく)ことは自分の臨床の精度を底上げしてくれる秘訣なのだと思います。

カルテのコメントの充実は「指導・監査」対策であるだけでなく、自身の診療をサポートしてくれます。やろうと思えばすぐに実行できるので、本書を一読したら即・実行に移しましょう。
 
posted by ぎゅんた at 23:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月30日

(所感)「最悪」の医療の歴史


診療のスキマ時間にでも、と手にした本。

医療が、およそ素人の思い付きを出ないようなデタラメやインチキ、非科学的なオカルトのごった煮に過ぎなかった歴史を有することは広く知られているところです。私が始めてことを意識したのは、高校生のころに読んだ、なだいなだ「お医者さん」に記述されていた「戦場で負傷した兵士の傷口には煮えたぎったサムバック油をかけたりヤキゴテを当て続けるのが当時の医療だった(当然、患者は死ぬ)」という箇所。印象深かったので記憶に残っております。中世ヨーロッパとか最悪やな

人類における医療の歴史を考えると、どうしてもヒポクラテスの印象が強くあります。ヒポクラテス自身は、患者の生命力を尊重した医療(患者自身が治ろうとしている生命力を手助けすること)をベースにおいた医療行為をしていたらしく、これは現代の目から見てもフツーに納得できてしまう。この本に記載されている『「最悪」の医療の歴史』は、それ以降から近代までの間の、暗黒時代に行われた医療についてが殆どであります。もうトンデモの嵐。気分が悪くなるエピソードが洒落も諧謔もなく真顔スタイルで淡々と延々と続くので標本を見続けているような心境になることは必定。ぎゅんたはコレを訳した伊藤はるみさんを尊敬します

歯科に関する記述もありますが、お察しの通り、歯痛と抜歯に関してがメイン。しかし先生方の診療の一助となるような知恵や知識の記述はございません。今その瞬間に役に立たない知識=雑学にはなりますが。例えば、「古代エジプトでは、歯痛に苦しむ患者の喉の奥にはネズミの死体が押しこまれた」とかは活躍できそうです。

当時の歯痛の原因の大部分は齲蝕に継発した歯髄炎であったでしょうが、「虫歯」の名のとおり、歯に虫が喰うと考えちゃうのは人間として自然な考えのようです。歯の中に虫や悪魔がいて暴れているイラストが現代に残っていたりしますものね。虫歯の虫に関しては、本書中にちょこちょこ登場します。患者の口の中に火のついた蝋燭を入れたり薔薇を燃やした煙で燻して追い出すらしいぞ。

 何世紀もの間、医師も患者も煙や火で虫歯の虫をあぶりだそうとしてきた。ほとんどの場合、その小さな虫は謎のままだったが、いくつか注目すべき例外もある。コペンハーゲン大学のコベンス博士は患者の口から虫が飛び出すのを目撃し、貴重な試料をボウルの水の中で育てた。一方サムルート博士の虫は長さ約四センチで―博士によればチーズにわくウジ虫のようだった。シュルツ博士は豚の胃液をエサに一匹捕まえた。
 一七三三年、科学的歯科学の父といわれるフランス人のピエール・フォルシャールが虫歯の虫は存在しないと宣言し、それ以後二度と目撃されることはなかった。(P.109から抜粋)


まとめ
もう笑うしかねえ.jpg
posted by ぎゅんた at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月05日

(書評)「下川エンド」20年の臨床(木村英生 著) 買っちゃった


 コメント欄にてぽるけった先生に教えていただいた本。素晴らしい内容に頭が下がる思いをする。ひたむきにエンド臨床に向き合ってきた一人の臨床医の、多数の長期症例と深い哲学を教えてくれる。

 失礼ながら大変地味な本である(例えば、図書館のエンドの書架に並んでいたとして、研修医や新人の先生が真っ先に手を取るだろうか?)。しかし、本書の内容こそ、地に足をつけた臨床医でなくてはできない仕事であることを寡黙に痛切に訴えてくる。なにしろ20年越す長期症例の報告と考察なのだ。どれほど大きな価値があろう。薫陶に満ちた良著である。

 エンド臨床。と一言で言い表したとしても、その枝葉末節は各ドクターにより様々で"My Way"である。使う器具機材や順序の違いは言うに及ばずで、要は万人に当てはまる術式が存在しないのである。必ず、自分なりにモディファイしている自己流の部分を有しているものである。私も、様々な情報やセミナー、そして自分の臨床からのフィードバックを経て、"My Way"が構築されている。これは、いつでも立ち戻ることのできる「型」として役立つので、"My Way"は、常に知識と考えのアップデートによって改善・改良されていくことになる。また、そうであるものだ。

 この本は、まだ臨床経験の少ない若い先生には、今ひとつピンとこないであろう。そして、エンドに関心のない先生は興味すら示さないだろう。しかし、エンドに興味と情熱をもち続けて日々の臨床にあたっておられる先生がひとたび紐をとけば、新たな発見があり、反省があり、知見が得られて、勇気づけられ、エンドがもっと好きになるだろう。

 個人的に印象深くアレッと思ったのは、「根管の拭き上げ」の頁(P.78)である。根管内を物理的に拭き上げなくては決して綺麗にならないことを説いている項なのだが、実はこれ、私がまだ指導医の介助をしている新人の頃に、師匠に教えてもらっていたからである。「ぎゅんた君が医局の机を綺麗にしようと思ったら、タオルで拭くよね。まさか水で洗い流して終わりなんてことはないでショ?」と言っておられたのを思い出す。その頃は「ブローチ綿栓は、術者の指の汚れを根管内に輸送している行為にすぎない」などと言われていたので、私自身、ブローチ綿栓を根管に突っ込むこと全てが前時代的で盲目的な行為だと思っていたものであった。それから数年経った現在、次亜塩素酸ナトリウムをキャナルクリーナーの形で太いペーパーポイントに少量とり根管内で上下運動させるようになった。そして、このことを思い出すようになった。結果、最近はブローチ綿栓にキャナルクリーナーを取り、根管に挿入して時計回りに回転させて根管壁を拭くようになっている。つながっているものだなあと感じるのである。やはり師匠は偉大だ。
 
posted by ぎゅんた at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする