2017年10月15日

歯科医が所有する専門書の行方は


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断捨離という言葉が流行して久しいが、現代語然としているところをみるに世間に受け入れられた概念とみることができる。コトバンクには「モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと」とある。

収集の対象物でもないのに、案外に人は色々なものをパーソナルスペースに溜め込んでしまう習性があるようだ。「思い切って捨ててみる」ことは、思いもがけない幸福に直結することがある。自らが溜め込んでしまうことが、肉体や精神を気づかない間に拘束しているのである。ストレスだといえる。

『捨てる旅 精神科医の[蒸発]ノートから』(中沢正夫・著)のプロローグに、ストレスに対処する最良の方法とは、

「時々、日常性をブレークすること」、そして、「現場から物理的に離れるころ」である。離れることによって自分が見えてくる。自分と職場との関係、自分の価値観は今、どこで、何とぶつかって圧迫されているのか・・・・・・などが見えてくる。こうして人は、再び、自分を取り戻し歩き始めることができるのである。

と記述されている。そして、「現場を離れる最良の方法が「旅に出ること」であるのはいうまでもない。」と続く。

断捨離は旅ではないが、所有物と物理的に離れる意味では同じであろう。そして、捨てることで何かが見えてくることが期待できる。ものを捨てることでストレスに対処する概念といえよう。

我々歯科医は、どの年代の先生もそうであろうが、「歯科医は医療人であり、生涯にわたって学び続けなくてはならない職業だゾ」と繰り返し言われてきた。学ぶ姿勢を失ったら、現場を退かなくてはならないとも。生涯にわたって学び続けよ、とは、格好良く言えば職業人として研鑽を積み続けることである。これは日々の臨床に真摯に向かい合い、常にフィードバックすることで専門家としての能力向上に邁進することであり、知りえておくべき知識のアップデート、新たな治療技術の導入、勉強会への出席なども含まれる。そして、専門書の購入も該当する。歯科医は(これからは分からないけれども)結局のところは開業医として、地域社会の口腔の健康に寄与する存在となる。学術第一線の大学から距離を置くことになるのが普通であり、知識のアップデートは、基本的には専門書に頼る側面を持ち合わせる。興味のある分野の勉強会やセミナーがあっても、日程や金銭的な制約があるから、どれでも好きに参加できるものではない。専門書を通して学ぶ姿勢は残っている。学生時代の教科書であっても、いま読み返してみると利益があるものだ。

専門書は書物であり食べ物でないから、手放さない限り手元に残り続ける。大きく、重く、かさばるものが多いから、次第に書架を圧迫しはじめる。「書痴」という言葉が在るように、書物は、購入することと所有することに快感を伴う。壁一面が書架になるよう改築したり、書物の重さで床が抜けたという話もきく。そこまでいかないまでも、気づいたら際限なく本が増えていた、という人は多い。

専門書を買い漁っている歯科医師は少数派であろうけれど、専門書を全く購入しない不勉強な歯科医師もまた少数派である。多かれ少なかれ、歯科医師は多数の専門書を所有しているし、いってみれば少なくない費用を勉強のために投資してきたことを意味する。その一方で、気に入らない本(けれども、手元に置いてある)やいずれ読むつもりで購入した「積読」本の存在に気がついている。

手元に残しておきたい本は良いのである。残しておく必要がないと判断している本をどうするかが課題なのだ。まかりなりにも専門書だから、廃品回収に出すのは心情的に憚られる。さりとてブッ◯オフに持っていっても「値段はつきませんがこちらで処分しておきますか?」の悲劇査定は必定。漠然と他人にプレゼントしたところで、本というのは読む気がなければ決して紐を解かないものだから、読まれないまま放置されるのが関の山。理想的なのは、明確に欲っする気持ちをもつ先生と譲渡し合うことであろう。こうしたオープンな親交を私は無駄がなくて好ましく思うが、歯科医の業界ではどうもご法度のようで杳として知れない。

結局、書架の肥やし及びインテリアの役目を果たすか、埃を被ったまま放置されるか、なんとなく廃品回収で捨てられるか、小銭程度にでもなればと専門書買取専門の業者に送るか、ネットオークションに出品するかの運命を辿るのである。勿論、今は内容が理解できないだけで、自分が成長すれば、内容を理解できるようになる(手元に残したい本に昇格する)可能性もあるのだが、どう考えてもそうなりそうもない本は除外される。

思えば、専門書は歯科ディーラーさんの「努力」でディスカウントされない。情報量に対して「安い」場合がほとんどであるが、そうでない場合もある。購入したからには責任をもって有効に活用したいものだが、人間関係と同じで波長が合わない本もある。そうした自分にとって「いらない子」でも、他人にとっては「欲しい子」だったりする。本は、可愛がってくれる持ち主の手元にあり続けることが望ましいと思う。

私の手元にある「いらない子」たちはどうするべきであろうか。現実的には専門書買取専門業者の手に委ねるべきであろう。けれども、見積もりやらなにやらが面倒で頓挫したままである。もっと私が能動的であればネットオークション等に出品して欲しい先生にお譲りしているだろうが、気分的に自分可愛さの億劫さが先にたつのでできそうもない。母校の図書館に寄贈という名の押し付けをするべきだろうか。
 
posted by ぎゅんた at 15:29| Comment(2) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月25日

(書籍紹介)内科医から伝えたい 歯科医院に知ってほしい糖尿病のこと



糖尿病とその予備軍の患者さんは想像以上に多いものです。日本は糖尿病列島だからです。

誤嚥性肺炎がトピックとなったことをきっかけに、口腔ケアの重要性が認知され始めつつある一方で、糖尿病もまた歯科との関連性が認知され始めつつあるようです。たいへんに喜ばしいことです。

歯科医が歯周病の治療をすることで糖尿病が治るわけではありませんが、糖尿病治療のパッシブ・サポートに寄与することは確実にできます。糖尿病の患者さんが来院されたとき、歯周病との関連性を説明される先生は、多いでしょう。ただし、糖尿病とはこういう病気であって云々と正確な説明ができる自信をお持ちの先生は(私を含めて)少ないはずです。糖尿病は、それこそ分厚い本が一冊出来上がるほど専門的で情報量の多い病気だからです。学生時代に基礎医学で糖尿病について習ってはいれど、歯科医師になってから糖尿病と向き合った仕事をしているわけではないので、どうしても知識に穴や不確かさがあることは否めません。分厚い専門書を紐解いても、内科医ではありませんし、歯科の現場に即した情報とも言えません。最新の知見が盛り込まれた、歯科医師のハンドブックとなるような手引書的専門書が求められるところです。本書は専門書というには薄すぎますが、歯科的見地に立った視点で糖尿病の解説がコンパクトになされています。糖尿病列島の歯科医師はどうあるべきか、考えることができるでしょう。

なお、著者である西田亙先生は松風歯科クラブ発刊の「口の中はふしぎがいっぱい エピソードU」にも登場されています(それで知りました)。


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とりあえず診療室に簡易血糖測定器を用意しました。
隠れ糖尿病の人を発見できるかもしれないからです。問診や臨床初見から糖尿病の存在が疑われる人に説明して簡易測定をしています。測定結果がどうであれ、歯周病と全身状態との関係について関心を抱いてくれるきっかけになってくれています。一回の検査コストは約100円かかる(ディスポのセンサーがお高い)のはご愛嬌。

posted by ぎゅんた at 17:21| Comment(3) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

(所感)コミック版 はじめの一歩を踏み出そう 成功する人たちの起業術



欲しいと思った本はすぐに買おう
世界中を席巻した、起業に関するベストセラーである「はじめの一歩を踏み出そう」のコミカライズ版。この本のタイトルを目にすると、私は悔恨の念に駆られる。

それというのも、私が大学院生だったとき、中古の本屋でこの本の原著である「はじめの一歩を踏み出そう」が100円で売られていたのだが、「来週に来た時に売れ残っているだろうから、そのときに買おう」と棚に戻したことがあった。こんないい本が破格のプライスタグであって売れないわけがない。案の定、翌週には売れてなくなっていたのだった。本を買うとき、私はいつもこの出来事を思い出す。それは「良い本だと思ったら買わなくてはならないのに、買わなかった」ことを後悔しているのではない。「破格のプライスで売られていたのに、それを見逃した」ことを悔いているのである。正確に分析すれば、私は「なるべく安く買いたい/損をしたくない」気持ちがやたらに強いことが分かるのである。女々しい吝嗇家といったところだ。ただし、必要だと思った本は、予算に余裕があれば即座に購入する人間には育った。本というのは、買おうと思ったら買わなくてはならない。そして、縁があるものだ。

さてこのコミック版はじめの一歩を踏み出そうは、世界の佐久間利喜先生がご紹介なさっていて存在を知ったもの。この本とはやはり縁があるのだと脊髄反射で注文した次第である。



読んで思ったことをタラタラ
開業歯科医というのは、院長だぞと威張ったところで所詮は中小企業の社長のようなものであり、基本的にブルーワーカーである。歯科医師は職人気質が強く、経営の勉強など習っていない。勤務先/修業先/バイト先の運営スタイルを真似するのがせいぜいだ。そして、個人開業医院というのは、結局は院長が存在しないと立ち行かないところがある。これは、あたりまえのようでいて重要なところだ。いつまでも第一線で働き続けられる喜びが保証されている一方、隠居することが難しいのである。そして、患者の数は先細りになる。患者も、老医よりは若手中堅を求めるからである。畢竟、後継者がいない医院はひっそりと閉院することになるのが普通である。第三者への医院の売却は、あまり聞かない。居抜き開業は、多いようでまだ少ない。嫁と畳と新車みたいなもので、新規開業のスタンスを選ぶ歯科医師が多いためか。やるなら、自分のカラーを前面に打ち出した医院にしたいのである。

開業歯科医は起業家でもあるが、起業した末に自院を第三者に売却することを念頭に置く歯科医師は少数派であろう。「自分が現場で働かなくても医院が回る」ことを実現する歯科医師もいるが、これはより少数である。できなくはないが、歯科医師という職業を考慮すると難しい話に違いない。実現できたとしても、完全引退する先生ももまた、少数であろう。もう働きたくねーなんて言いながら、本音のところでは歯科治療という仕事が好きな先生が多いからである。そうでないとしても、政治家になったり別の分野での起業をはじめるものである。仕事をしなくなることはないのである。

この本に書かれているのは、「正しい起業」術である。仕事するのが好きなのだと熱意と情熱があふれんばかりの逸材であっても、起業したとなれば経営からは逃れられない。スタッフを雇うにしても、自分ほど仕事に熱意を持っているわけではない。ただ目の前の仕事に没頭していればうまくいく現場ではない。資金繰りも予想以上に大変だ。理想と現実との間の大きなギャップが目の前に立ちはだかる。自分さえ頑張れば、現状を打破できると信じて懸命に仕事をし続けるも一向に改善の兆しはない。そのうち、仕事のことを考えると精神と肉体が硬直して事業を継続できなくなる……。

起業するからには、事業を継続させられるシステムを作らなくてはならない。それがないと、仕事の遂行上のアナログエラーが出やすくなる。ひいては、仕事に従事する人間のストレスになる。

フランチャイズのなにが優れているかを考えるのは良い課題だ。従業員にとって、いかに考え尽くされた優れたパッケージングであるかが分かるはずだ。自分の医院をフランチャイズ展開することまで考える先生は少ないだろうが、従業員がとにかく働きやすい仕組みを設けることは導入すべきだ。

同僚の些細な行動が生理的に我慢がならず仕事自体が嫌になることがあるように、人間というのは極めてアナログで感情に左右される生き物だ。パフォーマンスも当然、大きな影響を受ける。業務内容をマニュアル化したりシステム的に整理していくことは、言葉尻を捉えると衆人管理的でつまらない印象を覚えるものだが、なんらかの目的を持たせるために作成されたマニュアル化には従業員に心地よさと成長性を与える。少なくとも、確固としたマニュアルがなく、「各自のやり方にお任せ(しかし、責任はとってもらう)」な、自己判断に困る場面に頻繁に遭遇するストレスから従業員を解放させられる。なにかあった場合は、マニュアルに基づいた問題点の抽出もできる。業務内容を常に一定的に安定させることが第一である。

この本は歯科医師が読んでも参考になるところが多いだろう。歯科開業医もまた起業家だからである。開業していなくとも、経営上でなにが重要であるかを常に意識して診療に従事することは勉強として有意義だ。どんなに準備していたとしても、いざ開業してからは「経営」に悩まされることは必定であるにせよ、できる限りの予習と備えをしておくべきであることはいうまでもない。

偉そうなことを述べている私はいま現在、「経営」に四苦八苦していたりする。実家の医院に帰って跡を継ぐだけだからとあまりに思慮浅薄で準備不足だったことが露呈した。今更ながら恨めしい。若い先生の反面教師になることを願うばかりだ。準備はしすぎてもしすぎることはない。



It is very important that
表紙の萌え絵風味の漫画を期待すると裏切られる。
本編はちょっと古いタッチの少女漫画風味である。表紙詐欺。

 
posted by ぎゅんた at 08:50| Comment(2) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

Smile(洋書:ペーパーバック)



まとめ
10代の女の子が前歯に振り回されながら成長するドラマ。米国の歯科が(子どもの視点から)描写されている点で珍しい内容では。


英語が苦手な日本人のために「英語市場」には様々なアイテムがあふれている。昔からも、これからも。それでもなお、英語が使えるようにならない日本人は、よほど英語と相性が悪いか真剣に勉強に取り組まないか、バカなのか。不思議なのは、英語自体への興味はだれしも強く有していることである。英語圏へのコンプレックスなのか憧憬なのか、学生時代に英語に苦労させられたことへの復讐心-征服欲があるのか。敵性外国語に触れるなどけしからん!と声をあげる人は時代錯誤である。小学校から英語教育が始まるのは英語偏重が過ぎるし意味がなかろうと思うので私は反対なのだが、いずれにせよ、日本人のなかで英語が堪能な人は少ないままである。できる人が羨ましい。うむ。

英語ができない私が何を論じても羊羹のビッカース硬さ試験みたいなものだが、英語ができなくても全く支障なく人生を歩んでいける恵まれた環境にあることが日本人の英語音痴の主原因であるように思う。英語はコミュニケーションのひとつの道具にすぎず、道具とは、使わねば腕が錆び付くし、使う機会がなければいつまでたっても使いこなせないままだからである。


私が昔から好きな英語初心者向けの読本に「ビッグ・ファット・キャット」シリーズがある。ヒタヒタと売れ続けるベストセラーであるから、どこの図書館の英語の一角にもあるのではないだろうか。

英語達人列伝」にもあったが、英語上達の秘訣は多読にこそあるとする考えは重要である。ただし、これを真似をしようにも、まずは英語が読めなくてはならない。そこにあって、多くの人にとって「英語を読む」といえば、学校教育が脳裏をかすめるだろう。中学高校のリーダーの時間や試験の長文問題が、頭に浮かぶ・萎える・やめるの三段活用が発動することになる(ならない人は英語ができる人だ)。

「ビッグ・ファット・キャット」シリーズは、とにかく英語の文章を楽しんで読んでいく(その結果として、英語に慣れていく)ことだけに特化させた作りになっており、読むと物語に引き込まれる面白さがある。学校教育の無味乾燥に近い英文とは一線を画し、「とにかくまず英語を読んでみる経験」を積む上で極めて良質的である。そして、英語に慣れ始めたら、是非とも児童書を手にしてほしいとの指南がある。英語圏の児童書は極めてクオリティが高く、大人が読んでも面白く、難易度調整が容易だからだという。特にペーパーバックが入手と価格の面でオススメされる。

ペーパーバックに代表される洋書は、不思議な質量感と魅力に満ちている。読めなくても、手元にあると特別な嬉しさを感じる質量がある。本と英語が好きな人であれば、この感情が理解できるだろう。本棚に置くと雰囲気が締まるのである。


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エンドドンティストも登場するぞ!

そのなかで紹介されていた「低難易度の児童書」が、この『Smile』である。

漫画だこれ!という驚きと、これなら読めそうだわいという安堵感、歯科が登場することへの興味が入り混じるステキ具青。米国の歯科事情が、その医療費の面はなんら語れてはいないものの、子ども視点で描かれるのは珍しいものかもしれない。

教科書な英語からちょっと離れた会話中心のテキストであり、文章量と英文解釈の難易度はそこまで高くない。直訳して意味を取っていくというより、英語の会話のリズムやテンポを楽しむ感じで読んでいくと良さそうだ。ああ、こういう会話をするのね、みたいな。

表面的ではあるが歯科の内容がふんだんに含まれているので、医院の待合室に置くとサマになりそうである。矯正専門の歯科医院とかは独自の瀟洒な雰囲気があるものだから、とくにマッチしそうだ。患者さんに「先生、ここのコレどういう意味?」と訊かれるリスクは織り込み済みでなくてはならないが、なんとなるだろう。それぐらいの難易度の本。普段から論文を読まれている先生なら楽勝だろう。私はそうではない。ガハハ がっでむ。

posted by ぎゅんた at 13:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

【所感】沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉


「アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひく」という有名な言葉がある。日本はアメリカ経済の影響を常に受けるモノという、元々は経済的なニュアンスを含む言葉であったかに思う。個人的には、「アメリカのあらゆるスタイルは、あたかも潜伏期のように、一定の期間を経て日本にも導入される」ことと同義だと考えている。要するに日本はアメリカ様に服従している属国だということだ。この辺の考察を始めると多分に政治的な話題となってしまうが、事実であろうことに疑いを持つ人もおるまい。

政治と宗教の話題はタブーであり避けるべき題材だが、この際に述べておくと、私は消極的自民党支持者である。自民党というのは、平均以上の能力を有する人材が「国家国民のために働く」ことを最低限の信条として、民主主義の申し子のツラをして雑多様々な理念とそれに基づく政策を推し進める手練手管に長けた老獪な政治集団であるように思う。ガチガチの保守政党と思ったら大間違いで、意外にもリベラルな考えの議員も多数いて、それをグループとして上手に包括している(ある程度、互いの思想理念信条を容認している)ところがある。

現政権は保守色が強いが、その正体はアメリカ仕込みの新自由主義が幅を利かせている。私はこの新自由主義が嫌いである。政治というのはベストではなくベターを選択するものであり、最もマシなバカに任せざるをえず、そして選挙とは「薬に化けるかもしれない毒を選ぶ行為」に他ならない。新自由主義を前面に出したいまの自民党が最もマシなバカなのであって、野党はそれ以下なのである。なんと悲しい現実であろうか。


さてアメリカであるが、これほど極端で反面教師に適した国家はない。日本にとって参考になる政策など皆無であろう。もうほんと問題点だらけで、なにが自由の国かといえば、民間企業が営利追求のためにやることが自由の国なのであって、悪魔と契約したのではないかという非人情さに満ち溢れている。アメリカで自由の国だと人生を謳歌する生活を送る人は富裕層だけであり、それ以外の人々は、ただ搾取されるだけの養分に過ぎない。そしてその搾取のシステムが実によくできている。義理や人情は一片も存在せず、全てをただ金に変換する悪魔的システムが構築されている。このへんはリベラル愛国者であるマイケル・ムーアの一連のフォルムに詳しい。まとめて言うと、現状のアメリカ社会の問題のすべての淵源は新自由主義の徹底およびマネーゲームにある。「Sicko」をみれば絶句すること必定である。アメリカは、傍目にウォッチングするには興味深くこれ以上なく面白い国であるが、同時に、絶対に住みたくないと思わせてくれる国でもある。

全然この本の紹介をしてないじゃないかと怒られそうなのでこの辺でやめる。

本書では、「アメリカにゃあ絶対に住みたくない」国であることが、尋常ならざる医療費(介護費・介護負担)と保険制度の面から語られる。著者は日本人だが、おそらくアメリカが好きなのだろう。だからこそ、大好きなアメリカを憂いているのである。マイケルムーアと同じだ。そして、日本の国民皆保険制度が奪われずに存続されていくこと、医療現場の歪みがなくなることを切望している。

本邦の国民皆保険も、その制度の維持の上で様々な病根を抱えるが、たとえ問題があったとしても、国民皆保険制度があることがどれだけ幸せであるかは国民全員が理解しておかねばならない。どんなに優れたものを持っていたとしても、その価値に気づかなければ隙を作ることになり、狙っている連中に掠め取られてしまう。国民皆保険制度が崩壊した後に残っているのは、いまのアメリカの姿である。

ときおり、「アメリカ並になった」と、あたかも先進的なニュアンスを込められた例えを耳にしたりすることがある。もうお分かりのことと思うが、ここに好意的な意味はない。「地獄の一丁目に足を踏み入れた」がせいぜいのところである。「アメリカ並」でいいのは、人生を楽天的に生きるしたたかなポジティブさとか、大排気量OHVエンジンの底抜けのロマンとか、ステーキ肉のサイズぐらいのものだろう。それ以外は申し訳ないがNG。
 
新書だし読みやすい本なので2時間もあれば読める。ご興味があればどうぞ。
 
posted by ぎゅんた at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする