2024年11月17日

思うところあって危険物取扱者乙4の資格をとりました

結論からいうと、歯科医師がこの資格を取得してもキャリアアップにつながりません。歯科医業にプラスに作用することもありません。
履歴書に記入しても誤植を疑われます。歯医者仲間からは、変わり者扱いを受けるでしょう。

危険物取扱いを生業にしている患者さんと話をすると盛り上がるかもしれませんが、資格というのは「とってからがスタートで重要なのは実際に現場で働いていること」でありますから、資格を持っているだけで実務経験のないことを知られれば却って疎んじられるかもしれません。


ではなぜ取得したのかと言いますと、理由は二つです。

ひとつは私が高校生の頃、工業高校に行った友人が「危険物の資格をとりたいと思って」とか「ガソリンスタンドでバイトする時に時給が上がる資格があるんや」とか口にするものですから、爾来、私の心に印象深く刻まれていたのでした。少なくとも今の自分に取得メリットはないにしても、どのような資格なのかを知りたい、という心理が恋々と燻っていたのです。

もうひとつは、歯科医師国家試験を通じて自分なりの資格試験突破のノウハウを掴んだつもりで生きてきたけれど、果たしてそれは信頼に足る再現性があるのか(ノウハウとして正しいのか)を確認してみたい、という心理があったこと。

この二つが、もう取り繕うことができず私を駆り立てたのでした。



さて危険物乙4資格は、「とりあえずなにか資格を取るなら」という場面で候補に上がってくる定番資格です。宅建ほど難易度は高くありませんが、合格するにはソコソコの分厚さのテキストでの勉強は必須です。「再現性」を確認するにはうってつけの相手と言えましょう。歯学生の頃と違って老いてしまった今の私の頭脳で結果が出せるのだろうか?


資格試験を突破するために必要な考えは「合格に必要な最低点をとればよい」、これだけです。優良な成績を取ることに意味はありません。試験をパスして資格が取得できれば良いからです。

そして、試験対策は過去問を中心に行います。出題者は過去問プールから問題を抜粋するし、従来の設問のトレンドから大きく逸脱した問題は出してこないものだからです。一見して毛色が違う問題であれ、それでも問題文が過去問で用いられた文章からの抜粋だったりするものです。過去問に慣れておくと新設系問題の対応の面で有利に働きます。というか、どんな問題が本番で出てくるかわからない以上、過去問を勉強のベースに据えて事に当たる他ない、という感じです。


危険物乙4は、試験会場から問題を持ち帰ることができないので、ホンモノの過去問というのは限られたものしか知ることができません。一方、人気資格なので勉強用テキストは豊富にあり、それらに掲載されている「模擬テスト」は、過去に出題された問題の、問題文までを正確にエミュレートしているので、これを過去問代わりに解きまくり、正解を引けるようにします。同時に、知識理解の曖昧な点を解説やテキストを参照に擦り合わせをして修正します。この作業を愚直に毎日、繰り返します。とはいえ1日に10-20分程度のものです。どうしても覚えにくいところはカンペに書き出してマイ資料を作成するのも並行して進めます。自分で作ったカンペは印象深いですし、いつでも見返せる点ですぐれています。作成すること自体が記憶の定着にも有効です。カンニングペーパーを作っていたら内容を覚えてしまった、みたいな感じです。


私が歯科医師国家試験の勉強を始めたのは4年生になってからで、国家試験予備校が出版している問題集のうち「口腔外科分野」を学内の売店で購入して電車に乗った際に解いていたものです(なぜ口腔外科なのかというと、その時分に一番好きな科目だったからです)。最初は全然、解けないのですけれど、国家試験特有の問い方や解法という「作法」がわかり始めてくると解き方のコツが掴めた感覚が得られて気が楽になり、間違ってよいから総当たりに問題に体当たりして知識を広く浅く整理していったものです。正解の箇所は自信を持って知識を固め、不正解の場所はテキストにあたって理解を求める。

くだらない自慢ですが、歯科医師国家試験の模擬試験で口腔外科だけ全国順位24位がとれたので、私は自分のやり方に問題がないことを確信しました。「少なくとも俺には、このやり方で良いんだ」と自信を持てました。あとは全分野で試験を突破できる安定した得点力を育てていけば国試が受かるだろと手応えが得られました。



さて危険物乙4、試験勉強を始めたての頃は門外漢ですから真っ当に分からない手探り状態でしたが、試験で間違いなく問われる超重要箇所を中心に問題を解いて知識を蓄えていくにつれ、「なにを問われてくるか?」がわかり始めました。

問われることはソコソコありますが、歯科医師国家試験のそれに比べれば少なすぎる。法令・消化火系を中心とした理解と暗記問題、初歩的な化学・物理の問題を解きまくっていくにつれ、理解が進み記憶が脳に定着していくのを実感しました。馴染みのない記憶が確かな知識に化ける感じです。よほど悪辣な問題でも出題されなければ合格点は取れるだろう手応えです。この時点で願書を出し、毎日10分程度の時間を割いて記憶の再強化を続けながら試験を迎えました。国試を受けた日のことが思い出されて緊張しましたが、無事に合格していました。ひょっとしたら……という一抹の不安はあったので胸を撫で下ろしました。嫁に自慢しましたが無視されました。

とりあえず乙4に資格は取得したのでセルフのガソリンスタンドの深夜バイトに応募できそうです。
posted by ぎゅんた at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月24日

歯愛メディカルは石川県の企業です(エヘン

Ciメディカルとの出会いは、私が研修医の頃である。

研修先で「安い消耗品はもっぱらココで買うんだ」とCiのカタログを見せてもらった気がする。研修医なんてのは、現場で使用している歯科材料のコストについての意識など全くないパープリンであるから、安かろう悪かろうで良いのだろうか?なんて生真面目に考えたりするのであるが、しかし一年後にはCiのカタログのどこに何が掲載されているかを把握するぐらいに愛用者に変わっていたりするのだった。出入りの歯科材料ディーラーは、Ciメディカルに対して良い顔はしなかったし、デンタルショーでもCiメディカルは出展できないなど色々あったようだ。それでも、開業医を中心に現場の人間にとってありがたいサービスを提供していたから通販事業を堅調に伸ばし続けて行った。消耗品を安く仕入れることができることはありがたかった。往時の開業医にとってCiメディカルは福音であり、黒船のようなものだったと思う。インターネット・サービスの一般層への普及に伴ってAmazonが社会インフラに組み込まれていった現象と通ずるものがある。

さて昨日、私は白山市本社を訪れて倉庫見学をしてきた。そういうイベントがあったからである。
本社の社内から倉庫まで案内してもらった。ここで記載できない社外秘な情報がフツーにあった。なるほど、Fax注文すると、こうやった工程を経て手元に届くのか……感慨深いものがあった。

カタログに記載されている材料にも、仕入れに関して様々なドラマや苦労があることも改めて知ることができた。我々は消費者感覚で気軽に購入しているが、実際に診療で使用する際は、これが手元に届くことを実現させてくれている人たちの存在を思い浮かべるぐらいの気持ちがあって良いと思う。AIやデジタル技術台頭が社会インフラに組み込まれたといえども、世の中は相変わらず色んな人たちの無言の労働で支えられているのであって、我々開業医は歯科医師でございなんて偉そうに振る舞っても仕方がないくらいの木っ端んの存在で、本当の主役は治療を受ける患者さんであり、そのために頑張っている多くの人たちの支えがある。


ちなみに今までFeedでしか購入できなかった『エンドミニ』がCiでも購入できるようになった。
これは望んでいたことなのでありがたいところだ。

posted by ぎゅんた at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月25日

囲碁とか、どうやって勝つのこれ

2024-02-25-173716_002.jpeg
か、勝てねえ〜


百田尚樹『幻庵』を読み、思うところあって囲碁を打ち始めました。
碁盤上に石を打ち合うことで意識がまるで夢の中に入り込むような幻想的な体験ができるというのは魅力的だと思ったからです。

私は囲碁はおろか将棋すら満足にさせないし詩も詠まないし茶道もしらない。社会生活上の礼儀作法にしても疑問符がつくような振る舞いをする、およそ文化的素養のない凡夫。囲碁は歴史的なボードゲームであろうけれど、私はボードゲームなどオセロが少しできるくらいで、カードゲームとかポーカー麻雀とか、そういうのも全く遊ぶことができない。まことに不調法なのであります。

元来が無責任で能天気なので、そんなの知らんくとも生きていけるわい、娯楽ゲームを嗜めない身といえ世はこともなし、と虚勢を張って生きてきました。ただ、40も過ぎたおっさんの心にはコンプレックスが鬱屈しているのも事実でありまして、良い機会だから囲碁のお稽古だと思いねえ、と囲碁の本を手に取り、日本棋院監修のアプリ「囲碁であそぼ!」のインストールを機に囲碁に触れ始めました。自分自身の文化度が上がったような気がして嬉しい気持ちになりました。囲碁は、基本的なルールを理解することは難しくありません。ひとまず囲碁は、すぐに打てるようになります。



向き不向き、才能の有無など気にしない
囲碁が強くなるには、なにより子どものころから囲碁に触れる必要があるとか、囲碁にはハッキリと向き不向きがある(向かない人は遊ばない方が良い)とか、そういう評価が巷間にあるようです。多分、本当のことなのでしょう。しかし私はプロ棋士になるような強さを得ようとは思わないし、向いていないにしても囲碁の楽しさを味わえるほどには嗜めることはできるはずだと考えました。囲碁の向き不向きとは、プロ棋士になれる人物かどうか、ぐらいの、高度な領域での選別さをいうに違いないからです。そんなに敷居が高いゲームだったら、囲碁はとっくに廃れて、歴史から姿を消しているでしょう。

さて『囲碁であそぼ!』は対局は九路盤までで、十三路盤では対局できない仕様っぽいので物足りなさを感じました。本来の十九路盤は広すぎるので、まずは十三路盤で修行していきたいと考えたのです。

適当に探すと『みんなの囲碁』という無料アプリが見つかりました。これはFireOSでも動くので、出番がなくて暇を持て余しているFireHD10有効活用ができます。対局相手も対人とCPUが可能です。残念ながらオンライン対戦はできません。でも、これで十分です。CPUの棋力は14級〜三段まで選べます。囲碁の棋力がどのようなものかは皆目分かりませんが、挑戦しがいのある難易度設定がなされている、とはいえましょう。よおーし、やってやろうじゃねえか!



結果
13路盤コミ6目半で棋力14級のCPU相手に100戦100敗しました。私は胃が痛くなった。というか負け続けるストレスで髪の毛が落ちました。あまりの勝てなさ具合に激昂してFireHDを机に叩きつけてぶっ壊してしまう寸前でした。こんなUncontrollableな怒りを感じたのは歯科医師国家試験の勉強に追い詰められて精神的に不安定だったころ以来のことです。



なぜ勝てないのか?どうすれば良いのか?
囲碁は勝負事なので勝てば嬉しいし負ければ悔しいものです。負けて怒るのは、それだけ真面目に勝利を目指して打ち込んだから…とはいえ、目の前の勝ち負けに拘泥するのは上達のことを考えれば望ましい姿勢とは言えません。投資もそうで、勝ち負けで考えるのは非常に短絡的で底が浅い仕草です。毛並みの悪い投資家というやつです(勝ち負けにこだわるのはギャンブラーであり投機家であって投資家ではない)。

囲碁は大局観という人として重要な視点を育てるゲームである、と本に書いてありました。戦略的な思考を育てるこで、将来の展望を見据えながら複雑な問題を処理することができるようになる、と。勝てても負けても、なぜ勝てたのかを確認したり、勝敗の要因分析をしたり、よりスマートな打ち方はなかったのか考究することが前向きで良いものです。そうした知的な振り返りは、自身の成長を促したり成長を実感できることにつながるので、より囲碁を打つことが面白くなるのです。勝ち負けよりも、成長を楽しむ姿勢が良いと言われる所以です。


さて100敗した私は現時点で後顧するに、成長なんて微塵も感じておりません。
囲碁の面白さってなんだよ、一番易しい対戦相手にまるで勝てないのに成長もクソもねえよって感じです。


自分なりに、なぜ負けるのか、どうやったらCPU14級に勝てるようになるかを分析すれば──

1.相手の石を囲んで取ることに夢中になって、結局は自分の石を易々と取られる状況になっている
2.最終的に地の多い方が勝つので、広い陣地を確保しようと石をつなげていくが、打ち方のどこかに誤りがたくさんあって局面を覆される
3.定石をしらない(基本的な棋力がない)
4.詰め碁を解いていない(基本的な棋力がない)
5.石の生き死にを理解できていない
※どんな初心者向けの解説にもあるような「相手が離して打ったら、自分も離して打つ」「自分の石にツケてきたらハネかノビ」は遵守して打っている(つもり)

おそらく、こんなところだと思う。

ただ、1-5がそこそこできるなら、CPU10級であろうと負けないのではなかろうか?
ひょっとして『みんなの囲碁』のCPUが強すぎるのではなかろうか?
囲碁に覚えのある先生は、よかったら試して欲しいところです。

「え?こんな弱い相手にどうやって負けることができるんだ?ぎゅんた先生には脳みそがないことが明確になった。失望しました。ブログ読者やめます」となっても、それは私の不徳の致すところ也。ぐぬぬ



そんなわけで、私は囲碁が打てる人から上達のヒントが欲しいのである
本来は囲碁打ちの人に教えを請うたり囲碁教室に参加したり碁会所にいって指導してもらったりするのでありましょうが、そのような環境にないのです。当面は独学でCPU相手に挑むしかない。

患者さんに囲碁打ちがいれば嬉しいが、ドクターが患者に「あなたは囲碁が打てますか?」と聞くのは度を超えた振る舞いに思える。待合室に碁盤と碁石を置いておけば、患者同士が対局を始めだして解決の糸口になるかもしれないが、接触感染にうるさい昨今なのでアイデアはお蔵入り。

実物の碁盤と碁石を用意して、過去の名人たちの棋譜をひたすら並べまくって体当たりで打ち筋を理解していくのが一番よい稽古かもしれない。盤上で詰め碁問題を解くのもよさそうだ、和室に置くと様になる図でもある。


高級囲碁盤セット
高級すぎる値段に泣いた
 
posted by ぎゅんた at 17:47| Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月22日

「無秩序な部分を省くことにより、我々は秩序を構築する(ウィリアム・ジェームズ)」


carisolve.jpg
カリソルブなんて商品もあったが、俺には使いこなせなかった


日々の歯科治療の中で楽しいことは?と訊かれた時に、あなたは何を答えるだろうか?

ダイレクトボンディングとか智歯の抜歯とかフラップオペ、などと答える先生が多そうな気がする。伝達麻酔を効かせるのが堪らないデュフフ…と答える先生もおられそうだ。縁上歯石を超音波スケーラーで弾き飛ばすのが好き、と答える先生だっておられよう。

果たして私はというと、う蝕象牙質をエキスカで除去しているときに楽しさを覚える。とくにマニアックには、あたらないだろう。悪いものを取っている、という心理的な充足感もさることながら、う蝕象牙質の除去が進むにつれてその感触が変化していくのが楽しいのだ。感染象牙質部分は触れても痛みを生じないため、無麻酔で処置できるのも良い感じだ。


上皮組織に相当する外胚葉由来のエナメル質を超えて中胚葉由来の象牙質に達して生じている「齲窩」は言ってみれば潰瘍であるが、細菌修飾を排除しても自然回復することはない。感染した有機質(infected-dentin)を徹底除去して窩洞を形成し、人工材料で実質欠損を補填して歯の形態と機能の回復を図らなくてはならない。

いまはどうかは知らないが、かつては、象牙質のレジン接着時の樹脂含浸層を人工エナメル質として扱っていたものである。たしかに、親水性の象牙質が疎水性のレジンが含浸して置換されれば、人工的なエナメル質といえなくもない。私は、こういう考え方は好きである。そのために、除去すべき感染象牙質を除去する地道な作業に喜びが生まれるのだ。う蝕象牙質を徹底除去して混濁層以降の無菌的な象牙質で整った窩洞を用意するのは気持ちが良い。髄腔内をヒポクロで満たす(Hypo-bath)ことで、そのケミカルな洗浄を終えた後に明るくなる髄腔も気持ちが良い。これでいい仕事ができる、そんな気にさせてくれる。


さて象牙質の樹脂含浸層は、その最底部に接着性モノマーが浸透しきれていない脱灰象牙質が残地するという懸念があったが、いまは解決したのだろうか。接着歯学界隈から離れてしまうと、もう新製品との出会いをのぞいてトレンドについていけなくなる。


この記事を書いてて思い出したが、医局での症例発表会か勉強会かの折に、スライドに「カリエスデストロイヤー:感染象牙質を無菌化することで万が一の取り残しにも対応するう蝕検知液」みたいな捏造アイテムを写したことがある。しかし、誰も笑ってはくれなかった。というか、無反応だった。薄暗い医局内部は静まり返ってしまった。若い無能な医局員が、アカデミックな場で唐突にウケ狙いを仕込むべきではないということを私は学んだのだった。

それから10年以上は経った。私はいまでも人前でプレゼンするときは唐突なギャグをブチ込んでしまう。汚れ芸人気質なのではなく、笑わせようと勝負に出たけどウケなかったという冷たい現実が妙にクセになるのである。マゾなのかもしらん。

posted by ぎゅんた at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月12日

献血について


loveblood.jpg
いつのまにかアプリが出ていた

始めて献血に行ったのは大学一年生の時である。
献血を通じて社会貢献をしようというような崇高な精神があったわけではない。

元来自分は血を見るのも苦手だった。けれど、歯医者を目指す以上、いつまでも血の苦手意識があってもいけない。献血することで、少しは血に慣れるだろう、と考えてのことであった。忘れもしない、札幌駅近くのアスティ献血ルーム。優しいナースのお姉様方のおかげですぐに血に慣れることができた。

それからは、献血ルームの近くにいく用事があったり、自動車運転免許センターやら学祭やらで献血バスが来ている際、可能であれば献血をしてきた。献血マニアではないので、まだ通算で20回ほどでしかないのだが、自分の血液が献血に貢献できるうちは続けていきたい。

また治療上必要であるとはいえ、歯科医師は患者の身体に注射針をルーチンに刺しまくっている存在でもあるから、別に贖罪の意図もないが、自分も身体に針を刺されるという感覚を常に養っておくべきとは考える。

献血をすることで、なにか大きな名誉やインセンティブが得られるものではない。昔は図書券がもらえたらしいが、売血行為が横行して廃止になったそうな。その代わりでもないが、献血ルームでは軽食をつまめたりドリンクのサービスがあるし、小さな洗剤をもらえたりする(今もあるよね?)。採血中は快適なベッドでドリンクを片手に雑誌を読んだりテレビの視聴ができたりと至れり尽くせりである。

その意味ではバス献血はちょっと不遇で、ドリンクはもらえるが飲み放題とはいえない。また、広いとはいえないバスの中での採血になるので快適度も落ちる。あまり要求するのも不躾な話であるが、この辺を心得ている人は献血ルームで献血をすることを希望するのである。
posted by ぎゅんた at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする