2025年08月13日

たとえ無償であっても、必要とされるのであれば引き受ければ良いのでは

口腔ケアボランティアに参加してきた。
具体的には、小児糖尿病サマーキャンプの歯科健診業務である。

執務にあたる歯科医師が募集をかけても見つからず、再度の募集がかかった。そして「もし他に執務を希望される先生がおられないのなら自分が」と問い合わせたところ、自分に決まったのだった。この小児糖尿病サマーキャンプでの口腔ケアボランティアは、数年前にも一度参加したことがある。休日にサマーキャンプ会場に足を運び、講演や口腔ケア指導や健診をするものだった。完全無償で、交通費もノベルティもない。ボランティアだから当然である。

ある席でこの話を歯科医師に述べたところ、自分を安売りするなと嗜められたことがある。
プロなのだから無償で引き受けてはいけない。それでは責任のある仕事はできない。善意に頼って利用されているだけだ、安請け合いをするな、というのである。

御説もっともである。が、話を続ける内に、その先生も過去にボランティア業務に執務した経験があったことがわかった。その話を読み解くに、歯科医師として尊重される対応を受けなかったことが不満として残ったようだ。会場に出向いたがスタッフの応対もなく、事前打ち合わせもなく「じゃあ、よろしく」と現場に放り出されて執務、終わったら「ありがとうございました」の一声で終わりだった、というのである。

なるほど、自分が軽んじられたと感じるのは当然かもしれない。話が100%真実であれば、確かにスタッフはボランティアに来てくれた歯科医師に対して敬意が欠けていると言わざるを得ない。

しかし、ボランティア参加するというのは、こういう扱いを受けるものなのだ。参加側は「そういうもの」と心得えておくべきなのだ。自分への敬意や見返りを期待するのは、ボランティアの精神を履き違えている。自分は、イベントという大きな流れの一部に一時的に参加させてもらう小さな部品にすぎないのである。極端な話、自分が参加しなかったとしても問題はない(問題がある場合は主催者側が必ず用意する)のだ。過度になにかを期待してはいけない。参加させてもらったことで、己が満足するなにかが得られれば良しとしよう。それは、普通は得られない貴重な経験である。そして、長い目で考えれば自分の人生にプラスに働く種の経験だ。そんなものはいらない、と思う人はボランティアに参加してはいけない。

執務が「現場に放り出され」るというのは、これは運営がグダグダだからである。良く言えば柔軟で寛容で緩い雰囲気で進行しているのであり、悪く言えば主催者側の説明と規律が不足している。

今回の小児糖尿病サマーキャンプにしても、これは学校行事でもなければボーイスカウトのキャンプでもない。参加する子どもたちに強い規律や時間管理を強いるスタイルではない。「グダグダな運営」になるのは当然なのである。責めることではない。むしろ子どもたちも緩やかな雰囲気の中で楽しそうにしている。


こんな中で、私は歯科健診をしてきた。
強制参加ではなく希望者を対象に、流れ作業にならぬよう会話を多くとり、健診結果から考えられるアドバイスを伝えた。アドバイスも、ああしろこうしろと上から目線で伝えても響かない。今できていることや心掛けていることを仔細に確認して、褒め、改善点があれば伝える。できる限り、そういうものにした。私も至らないところがあるから満足できるほど上手くいったとは決して言えないが、概ね良好な手応えであったように思う。

このボランティアに参加して私が得たのは子どもたちの明るさと笑顔だった。なんの打算もなく笑ってくれたり、抱きついてきたり、喜んでくれる。その純粋さに私は救われる気持ちだった。

しばしば、こういうボランティアイベントでは大人たちがこぞって「子どもたちの笑顔が見れて良かった」とコメントするものだ。社交辞令や他に気の利いたことが言えないのだろうと私は思っていたが、今になって、そうではないのだと理解できるようになった。子どもたちの笑顔を見ることは本当に嬉しいことなのだ。たとえ無償でも、彼らの笑顔が見られたのなら満足だ。心からそう思える。そして、役目を終えたらさっさと撤収して後を濁さぬようにする。余韻に浸るのは、帰途に着く自分で良いのである。


こんな感想文を書き上げて私が言いたいのは、あなたが歯科医師として生きているなら、たとえ無償のボランティアでも必要とされるなら参加するべきである、ということだ。日程の折り合いがつかないとか既に入っている予定を変更してまで参加することはないと思う。しかし、参加を頼まれたら引き受けると良いと思う。あなたの長い歯科医師人生の中に、普通では得難い体験が残るからである。その体験が、自分の仕事にプラスに反映されることも出てくれば、貴重な経験だったと言えるだろう。

ことに今回のボランティアは小児糖尿病の子どもたちが対象だった。
数日にわたるサマーキャンプ日程の中で歯科健診など、小さなイベントにすぎないし、たとえ実施されずとも運営に支障はないだろう。けれども、「歯科健診を予定していたが、参加する歯科医師が見つからなかったため中止された」ことを子どもたちが知ったら、彼らは一抹の寂しさをおぼえると思うのだ。歯科健診など、子どもたちにとって歓待される種のイベントではあり得ない。ただし、彼らとて「自分たちのために大人が無償で動いてイベントが成立している」ことは無自覚的であれ理解しているはずで、協力してくれる歯科医師がいなかった、ということは悲しみに感じることだろう。小児糖尿病の子どもたちに、誰が、そんな気持ちをさせたいと思うだろうか。
 
posted by ぎゅんた at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月25日

ときに別の視座にて

思うところあってWワークを始めた。

そもそもは『副業おじさん 傷だらけの俺たちに明日はあるか』という本を読んだのがきっかけだ。
今のところ問題なく続いていて、もう3ヶ月になろうとしている。

とはいえ、週に2回、20:00-24:00の単純労働(接客ではない裏方業務)なので大したものではない。夜間のお仕事とはいえ週に2回だから条件的にも甘い。甘々だ。テメェWワークなめてんのか!とお叱りを受けそうだ。

おじさんがWワークをする目的というのは、一般的にはお金を稼ぐためである。
先述の本を読んでもらいたいが、出世も収入が頭打ちどころか増税やクソ高い社会保険料など、国民民主党ではないが「手取りが増えない」厳しい懐事情が挙げられる。私も親になるまで、住宅ローンや子の教育費がこれほど厄介な猛獣だとは理解しきれていなかった(もっとも、それを予め完全に想像できた賢者は結婚もしなければ住宅ローンも組まないのであろうが)。

さて私の場合は、まあお金が欲しいとしても、それよりもWワークに就くことで得られる体験と経験、それに精神の調律を求めたのだった。格好つけて言えば、自ら飛び込んでいかない限り得られない知見を求めたのだ。


歯科医師になってもう中堅あたりのランクになると、日々の仕事に倦怠感が居座り始める。それは、仕事への緊張感が緩み、歯科治療に対するモチベーションが下がり、日々の診療への倦怠感となって現れる。毎日の仕事が暇つぶしであり、日銭を稼ぐ作業と成り果てる。歯科医師としての情熱を失った開業医の姿がそこにある、と言えるかもしれない。

私は、いま述べたような酷い状態ではないけれど、コロナ禍で精神的に変調した気がするし、昔に比べて他者に対して寛容でなくなった(短期な歯医者になった)気がするし、我儘で医療従事者への理解も感謝も受診マナーも知らない患者が増えた気がして、そのことで気鬱になったりしていた。ありし日に心に抱いた、医療人として患者に尽くして生きようとする決意を忘れた。世阿弥の言う「初心忘るべからず」に鑑みれば、自分が未熟であることを忘れずに常に自分を戒めなければ成長しないということを忘れた。情けない話だが、これは職場の人間関係のストレスが原因だと思っている。


精神科医の中沢正夫の『捨てる旅』のプロローグに以下の記述がある。

「ストレス」に対処する最良の方法は、「時々、日常性をブレークすること」、そして、「現場から物理的に離れること」である。離れることによって自分が見えてくる。自分と職場との関係、自分の価値観は今、どこで、何とぶつかって圧迫されているのか…などが見えてくる。こうして人は再び、自分を取り戻し歩き始めることができるのである。


中沢先生にならえば旅に出ることになるのだろうが、残念ながら私はいま旅に出ていける身分ではない。借金で首が回らなくなった破産者や思い詰めた若者のように失踪するわけにも当然、いかない。しかし、「自分のいる世界」を別に少し求めることで「日常性をブレーク」させるか、少なくとも揺さぶることはできそうだ。


そんなわけで私は夜間にWワークという、要するに夜の短時間バイトを始めたのだった。面接はあったが履歴書は不要だった。小遣い稼ぎに週に2回くる素性不明のおっさんでしかない。

資本主義社会においては、労働者の評価は常に実際の労働以下の評価でしか受けられない。労働力を雇用主に提供することで賃金を得る契約があるだけだ。どれほど熱意を持って打ち込もうが他人の分をカバーして猛然と働こうが時給に反映はされない。

しかし重要なのは、それを理解しきった上で自分にできうる最良の仕事をすることだと思っている。真面目に、手を抜かず、義務を果たす。倫理観の問題だ。どれほど真剣にやっても時給が変わらないのなら、出来うる限り手をぬけば良いと考えるのが人間らしいかもしれないが、その考えに与してはいけない、と思うのだ。

そんなことよりもっと重要なことは、その場の自分は歯科医師ではなく一介のおっさん労働者にすぎないと言うことである。職場の先輩や年下からヤジられたり怒鳴られたりバカにされたり褒められたりする。しかし、そうでなくてはならない。責任の小さいアルバイトとはいえ、求められた働きを提供しないと受けが悪いわけだから真剣にならざるを得ない。だからこそ、自分の地力がわかる。アウェーに飛び込んだ先で実力を発揮できるか?良好にコミュニケーションが取れるか?他人から好かれる振る舞いができるか?単純作業でエラーをできる限り起こさない動きができるか?より自分の作業のクオリティを上げるにはどうすれば良いか問題点を抽出し改善に繋げられるか?

よほど変な人間の集まる職場か際立って畑違いの作業を高いレベルで求められる職場でもなければ、あなたは職場に溶け込んで働いていけるだろうと思う。そうでなければ、歯科医師として患者と対峙して歯科治療を提供し続けていられる人間ではないはずだからだ。歯科治療は、案外にアナログな人間同士のぶつかり試合だからである。そう言う意味では、Wワークがうまくいくのなら、自分に自信を持って良いと思う。一方で世の中には、想像以上に話が通じなかったり決められた単純作業も(なぜか)正確にできない人間が少なくないことも実感する。どこで得た知識かは忘れたが、世の中の大人の多くは小学5年生レベルの知能しか有していないのだという。それは、成人した後に本を読んで勉強しなくなるからだ、という理由があった覚えがある。確かに、現代人は本を読まなくなった。

世のほとんどの歯科医師は日々の診療や自学にて勉強しているので知能が小学5年生であるはずはないが、歯科治療への熱意も情熱も失せ、日々の診療が適当な時間潰しになった先生は小学5年生レベルの知能になっていてもおかしくない。これは、ちょっと怖いことだ。

我々に必要なのは、現役である限り研鑽をつみ続けねばならぬという覚悟である。こんな当たり前の事実ですら見失っていることもある。知っていることと理解していることは違う。ときには、理解の程度をぶつかり稽古で確認するぐらいでちょうど良い。
 
posted by ぎゅんた at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月22日

Long-COVID という、忍び寄る恐怖

歯科治療に関する話題以外は取り上げないようにしているブログであるが、「新型コロナに感染すると後遺症に苦しむことがある」という報告に危機感を感じているので発言しておきたい。

新型コロナウイルス感染が猛威を振るって日本中がパニックになっていた頃、感染後に重篤な後遺症とし思えない症状に悩まされている患者の報告が出ていた。これはコロナワクチンのせいだと「界隈」が騒ぎ立てたこと、また医療者側も「おそらく精神的なもであろう」とみなしたこともあって大きく話題になることはなかった。外出できずスマホを片手に自分に都合のいい情報だけを集め、陰謀論にハマる人が続出したりと世の中が捻じ曲がっていた時期であったから、コロナに関する「突っ込んだ話題」はとかくヒステリックに炎上しかねない雰囲気でもあった。

今にして思えば、往時は感染と死者数を抑え込むために躍起になっていた時期でもあるから、その後遺症の報告は、医療現場では少なからず認められていたにせよクローズアップまではされなかったのかもしれない。正体が掴めない時期の感染だったので、死ななかっただけ運が良かったと考えるのは人間心理として自然である。また、コロナは風邪だという風説も立っていたから、風邪で後遺症は起こり得ないだろうと甘く捉えられていた感もある。


この辺の変遷については私も細かく追い続けていたわけではない。

感染対策と家族を守るのに必死で精神的にも不安定な時期だった。外出自粛で歯科医院と自宅の往復ばかりしていた記憶が強い。手洗いとマスク、人混みを避け、換気することが風邪やインフルエンザの感染対策に予想以上の素晴らしいパフォーマンスをあげたことに驚いたことは覚えている(今はマスクを装着しない人が多数派の趨勢であるが、こまめな手洗い人混みを避けることが習慣として世の中に根づいたのは良いことではないだろうか)。




前置きが長くなったので本題に入ろう。LONG-COVID(後遺症)である。
論文がたくさん出ており、それらの情報を列挙すると大変なことになるので控えるが、確実視されている特徴としては以下のようである。

1.後遺症は間違いなく存在する
2.肺の繊維化にような直接的要因だけでなく間接的要因が加わる
3.脳神経系へのダメージ、神経系疾患
4.認知機能障害を起こす。ブレインフォグ。治療方法がない。
5.この後遺症は、感染回数が増えるほど発症リスクが高まる(初回感染でも発症しうる)

あなたは恐怖を覚えないだろうか?
私は「こんなの知りとうなかった……」と肩を落とした。
しかし事実ならそれを認めて向き合わなくてはならない。
思えば、新型コロナに感染した後に日常生活を送ることが困難になったとの報告がコロナ禍にあったのを覚えている。

私自身は、コロナワクチンは種々7回接種してきた。界隈が騒いだように2年後に死ぬこともターボ癌を発症することも、内心では一番期待していた5Gの受信能力も授からなかった。
いま、コロナワクチンは全額実費負担であるが機会があれば接種したいと考えている(その間に百日咳の大流行が報告されたのでトリビックを接種した)。

LONG-COVIDの問題は、病的な老化進行のようにも思える。感染しただけで、運が悪ければ発症しうる、というのは認めたくない恐怖の事実だ。複数回の感染があれば、もう確率的に避けることはむずかしいだろう。

確証を持っていえないが、私だけに限らず、最近は以前と違って話が通じない人が増えた気がするし、妙なケアレスミスに起因する事故が世の中に増えたと思う。これは、LONG-COVIDによる認知機能障害によるものではないのか?脳神経系のダメージで人間の判断能力が落ちれば、事故は当然、起こる。

認知機能障害と言っても幅広い障害だが、具体的には長文を読めなくなり、テキストの文意を汲み取れなくなり、比喩・暗喩が理解できなくなり、推理力が失われ、ものを覚えられなくなり、ものを思い出せなくなる。まるで脳機能の老化および認知症のようだ。身体機能も劣化すれば、日常動作で息切れもきたす。働けなくなる状態に追いやられてしまう。スポーツ選手なら引退だろうし、歯科医師はヤブ医者に成り果てるだろう。

報道はされなくなっただけで新型コロナウイルス感染症は未だに存在しつづけている。
夏になったら収束する、というのも裏切られた。もうみんな忘れてしまった。それか正常バイアスで考えないようにしているのか?

杞憂で済んでくれるにこしたことはない。むしろ、それを心底願っている。

Cognition and Memory after Covid-19 in a Large Community Sample

Neurologic Manifestations of Long COVID Disproportionately Affect Young and Middle-Age Adults


posted by ぎゅんた at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月17日

思うところあって危険物取扱者乙4の資格をとりました

結論からいうと、歯科医師がこの資格を取得してもキャリアアップにつながりません。歯科医業にプラスに作用することもありません。
履歴書に記入しても誤植を疑われます。歯医者仲間からは、変わり者扱いを受けるでしょう。

危険物取扱いを生業にしている患者さんと話をすると盛り上がるかもしれませんが、資格というのは「とってからがスタートで重要なのは実際に現場で働いていること」でありますから、資格を持っているだけで実務経験のないことを知られれば却って疎んじられるかもしれません。


ではなぜ取得したのかと言いますと、理由は二つです。

ひとつは私が高校生の頃、工業高校に行った友人が「危険物の資格をとりたいと思って」とか「ガソリンスタンドでバイトする時に時給が上がる資格があるんや」とか口にするものですから、爾来、私の心に印象深く刻まれていたのでした。少なくとも今の自分に取得メリットはないにしても、どのような資格なのかを知りたい、という心理が恋々と燻っていたのです。

もうひとつは、歯科医師国家試験を通じて自分なりの資格試験突破のノウハウを掴んだつもりで生きてきたけれど、果たしてそれは信頼に足る再現性があるのか(ノウハウとして正しいのか)を確認してみたい、という心理があったこと。

この二つが、もう取り繕うことができず私を駆り立てたのでした。



さて危険物乙4資格は、「とりあえずなにか資格を取るなら」という場面で候補に上がってくる定番資格です。宅建ほど難易度は高くありませんが、合格するにはソコソコの分厚さのテキストでの勉強は必須です。「再現性」を確認するにはうってつけの相手と言えましょう。歯学生の頃と違って老いてしまった今の私の頭脳で結果が出せるのだろうか?


資格試験を突破するために必要な考えは「合格に必要な最低点をとればよい」、これだけです。優良な成績を取ることに意味はありません。試験をパスして資格が取得できれば良いからです。

そして、試験対策は過去問を中心に行います。出題者は過去問プールから問題を抜粋するし、従来の設問のトレンドから大きく逸脱した問題は出してこないものだからです。一見して毛色が違う問題であれ、それでも問題文が過去問で用いられた文章からの抜粋だったりするものです。過去問に慣れておくと新設系問題の対応の面で有利に働きます。というか、どんな問題が本番で出てくるかわからない以上、過去問を勉強のベースに据えて事に当たる他ない、という感じです。


危険物乙4は、試験会場から問題を持ち帰ることができないので、ホンモノの過去問というのは限られたものしか知ることができません。一方、人気資格なので勉強用テキストは豊富にあり、それらに掲載されている「模擬テスト」は、過去に出題された問題の、問題文までを正確にエミュレートしているので、これを過去問代わりに解きまくり、正解を引けるようにします。同時に、知識理解の曖昧な点を解説やテキストを参照に擦り合わせをして修正します。この作業を愚直に毎日、繰り返します。とはいえ1日に10-20分程度のものです。どうしても覚えにくいところはカンペに書き出してマイ資料を作成するのも並行して進めます。自分で作ったカンペは印象深いですし、いつでも見返せる点ですぐれています。作成すること自体が記憶の定着にも有効です。カンニングペーパーを作っていたら内容を覚えてしまった、みたいな感じです。


私が歯科医師国家試験の勉強を始めたのは4年生になってからで、国家試験予備校が出版している問題集のうち「口腔外科分野」を学内の売店で購入して電車に乗った際に解いていたものです(なぜ口腔外科なのかというと、その時分に一番好きな科目だったからです)。最初は全然、解けないのですけれど、国家試験特有の問い方や解法という「作法」がわかり始めてくると解き方のコツが掴めた感覚が得られて気が楽になり、間違ってよいから総当たりに問題に体当たりして知識を広く浅く整理していったものです。正解の箇所は自信を持って知識を固め、不正解の場所はテキストにあたって理解を求める。

くだらない自慢ですが、歯科医師国家試験の模擬試験で口腔外科だけ全国順位24位がとれたので、私は自分のやり方に問題がないことを確信しました。「少なくとも俺には、このやり方で良いんだ」と自信を持てました。あとは全分野で試験を突破できる安定した得点力を育てていけば国試が受かるだろと手応えが得られました。



さて危険物乙4、試験勉強を始めたての頃は門外漢ですから真っ当に分からない手探り状態でしたが、試験で間違いなく問われる超重要箇所を中心に問題を解いて知識を蓄えていくにつれ、「なにを問われてくるか?」がわかり始めました。

問われることはソコソコありますが、歯科医師国家試験のそれに比べれば少なすぎる。法令・消化火系を中心とした理解と暗記問題、初歩的な化学・物理の問題を解きまくっていくにつれ、理解が進み記憶が脳に定着していくのを実感しました。馴染みのない記憶が確かな知識に化ける感じです。よほど悪辣な問題でも出題されなければ合格点は取れるだろう手応えです。この時点で願書を出し、毎日10分程度の時間を割いて記憶の再強化を続けながら試験を迎えました。国試を受けた日のことが思い出されて緊張しましたが、無事に合格していました。ひょっとしたら……という一抹の不安はあったので胸を撫で下ろしました。嫁に自慢しましたが無視されました。

とりあえず乙4に資格は取得したのでセルフのガソリンスタンドの深夜バイトに応募できそうです。
posted by ぎゅんた at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月24日

歯愛メディカルは石川県の企業です(エヘン

Ciメディカルとの出会いは、私が研修医の頃である。

研修先で「安い消耗品はもっぱらココで買うんだ」とCiのカタログを見せてもらった気がする。研修医なんてのは、現場で使用している歯科材料のコストについての意識など全くないパープリンであるから、安かろう悪かろうで良いのだろうか?なんて生真面目に考えたりするのであるが、しかし一年後にはCiのカタログのどこに何が掲載されているかを把握するぐらいに愛用者に変わっていたりするのだった。出入りの歯科材料ディーラーは、Ciメディカルに対して良い顔はしなかったし、デンタルショーでもCiメディカルは出展できないなど色々あったようだ。それでも、開業医を中心に現場の人間にとってありがたいサービスを提供していたから通販事業を堅調に伸ばし続けて行った。消耗品を安く仕入れることができることはありがたかった。往時の開業医にとってCiメディカルは福音であり、黒船のようなものだったと思う。インターネット・サービスの一般層への普及に伴ってAmazonが社会インフラに組み込まれていった現象と通ずるものがある。

さて昨日、私は白山市本社を訪れて倉庫見学をしてきた。そういうイベントがあったからである。
本社の社内から倉庫まで案内してもらった。ここで記載できない社外秘な情報がフツーにあった。なるほど、Fax注文すると、こうやった工程を経て手元に届くのか……感慨深いものがあった。

カタログに記載されている材料にも、仕入れに関して様々なドラマや苦労があることも改めて知ることができた。我々は消費者感覚で気軽に購入しているが、実際に診療で使用する際は、これが手元に届くことを実現させてくれている人たちの存在を思い浮かべるぐらいの気持ちがあって良いと思う。AIやデジタル技術台頭が社会インフラに組み込まれたといえども、世の中は相変わらず色んな人たちの無言の労働で支えられているのであって、我々開業医は歯科医師でございなんて偉そうに振る舞っても仕方がないくらいの木っ端んの存在で、本当の主役は治療を受ける患者さんであり、そのために頑張っている多くの人たちの支えがある。


ちなみに今までFeedでしか購入できなかった『エンドミニ』がCiでも購入できるようになった。
これは望んでいたことなのでありがたいところだ。

posted by ぎゅんた at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする