2022年11月19日

歯髄の痛みを訴えておられる患者さんの応急処置に酸化亜鉛ユージノールセメント


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どんなに歯科治療が進歩しても、どんなに国民のデンタルIQが向上したとしても、歯科医院はやはり「歯が痛いときに駆け込む場所」であります。歯の痛みは人々の生活を慮ってくれません。躊躇なく発動するかの如く、急に起こり得る厄災のようなものです。すれ違う人が思わず距離をとってしまうようなコワモテのお兄さんであっても、急な歯の痛みにはかないません。たとえ歯医者さんが怖かったり苦手だったりしても、泣く泣く歯科医院の門をくぐることになるのであります。

そんなわけで、今日も歯科医院を「歯が痛いんです」の急患患者さんが訪れているわけです。私が歯科医業を営んでいる地域が特別なわけがありません。日本全国の歯科医院におけるルーチンワークなのです。

さてそんな患者さんを苛む歯の痛み、歯周組織が原発の場合もありますが多いのはオーソドックスに齲蝕に起因する歯髄の痛みです。患歯に齲窩があって、そこにから痛んでいるわけです。ちなみに小児の場合は、乳臼歯隣接面齲蝕によって食片圧入が生じて歯間歯肉に炎症を起こしての痛みを訴える場合が多いようです(歯間を徹底清掃して仮封して食片圧入を解消すると容易に回復する)。

もし歯髄に不可逆性の炎症が存在するのであれば全部抜髄の適応となりましょう。
そこまでの症状がなくとも、齲窩に物理的な刺激が加わることで痛みが惹起される状態であれば、いずれにせよ速やかに苦痛から解放する意味でなんらかの処置が必要となります。診療スケジュールに余裕があるなら抜髄や齲蝕の治療に移行すればよいですが、概ね、このような急患対応の場合は時間的余裕がないものです。従って、応急処置が必要とされるケースが多いものです。

ひと昔前の私は、抜髄が適応となるケースの応急処置では「局所麻酔+齲蝕除去+露髄面にペリオドンの少量貼薬」を行なっていました。抜髄が回避できそうなケースでは「局所麻酔+齲窩を徹底清掃+テンポラリセメントソフト仮封」を行っていました。

これは、ほどほどに成功率が高いので重宝していたのですが、結局はアポを取り直して来院してもらった際に再び局所麻酔を施してのリエントリーになることから、応急処置だったことは理解できていても、一方で徒労を感じていました。また、ペリオドンは少量とはいえ、あまり積極的に使用したい類の貼薬剤ではありません。


いつ頃からか、こうしたケースの応急処置には酸化亜鉛ユージノールセメント(ネオダイン、EZ)を利用するようになりました。応急処置の目的として、まず一定水準の徐痛と次の処置まで齲窩を悪化進行させない時間稼ぎができれば良いと考える上で、満足のいくパフォーマンスをみせてくれています。

簡単な術式としては、無麻酔下で齲窩の清掃(遊離エナメル質があるなら、できる範囲で削号除去でエナメル開拡して、食渣やプラーク、ドロドロの軟化象牙質の除去、ADゲル等を用いたケミカル清掃)を行い、窩洞内の水分を出来る限り排除して酸化亜鉛ユージノールセメントの「液(ユージノール+丁子油)」をマイクロブラシに取り、歯髄に近い象牙質面に少し塗布して、酸化亜鉛ユージノールセメントで仮封します。ユージノールのには鎮痛消炎作用があるので、それに期待する物です。古い歯内療法の教科書を見ると「歯髄鎮静消炎療法」として堂々とページが割かれています。ちょっと忘れ去られているテクニックかもしれません。重要なのは応急処置で終わるのではなく、その後の経過判断と処置になります。


酸化亜鉛ユージノールセメントは、現在の歯学教育の現場でどのような扱いのセメントか分かりません。若い先生は知らないということはないと思いますが、臨床で使うことはない、という先生がおられるかもしれません。言ってみれば、歴史的な、古典的な旧世代のセメントですし、昨今の臨床現場ではマイナーな存在ではありましょう。

しかし私は、この酸化亜鉛ユージノールセメントの臭いは、幼い頃に父親の診療室に足を踏み入れた際に必ず嗅いでいた臭いでもあり、馴染みのあるもので、郷愁的なものです。個人的に思い入れが深い歯科材料のひとつなのです。そういう意味で、少し贔屓している気持ちがあり、忘れ去られて欲しくない歯科用セメントだと考えております。

さてそんな酸化亜鉛ユージノールセメントですが、昨今の「粉と液およびペーストとペーストを混ぜ合わせればセメント泥でござい」な簡便な仕様とは異なります。ユージノール油が染み込まない練板紙の、菱形になっているものを使用します。なんで菱形やねん、と申しますと、酸化亜鉛ユージノールセメントは、粉と液を混ぜるのではなく練り込んでセメント塊を作るもので、練り込みのため力が必要です。利き手ではない反対の手の親指と中指を使って菱形の連板紙をしっかりと把持したままスパチュラで練り込まなくてはならないからです。ちょっと時間がかかりますが、練り上げていくと一定の弾力を持つ塊になってきます。これをスパチュラで転がして丸太状にして、あとは充填器で任意の長さで切り取るようにして使用します。一滴のユージノールの驚くべき量の粉を練り込むことが出来て面白いセメントでもあります(その分、練り上げには時間がかかります)。

加えて面白いのが、練り上げてからの操作時間に余裕があること硬化反応です。酸化亜鉛ユージノールセメントは、水に触れて硬化が開始するからです。窩洞に目的通りにセメントを充填したら、あとは窩洞内の水分や口腔内の湿気で硬化が進行してくれます。

いいことづくめですが、ユージノールはレジンの重合阻害材なので、昨今の接着性レジンとの相性は最低最悪です。そういう意味では、接着性レジン修復が全盛の現在の歯科臨床では取り扱いが面倒なセメントでもあることは間違いありません。しかし、それを上回るメリットとユニークさをもつセメントであり、私自身は愛用し続けているセメントでもあります。物性や特性を理解して、状況に応じて使い分けることができればそれで良いのだと思います。
 
posted by ぎゅんた at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 根治以外の臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
私は現在卒後6年目ですが、学生、研修医の頃から貴殿のブログ拝見しております。
いつもためになる情報に感謝申し上げます。
昨年も影響されて英語のテキスト買ったりもしました。おすすめの旧版の方を買うことができました。
さて、私は最北の国立大卒で、そのバックグラウンドから(学生時代の刷り込みにより)Fuji IXや今回お題のEZをちょこちょこ選択する機会があります。いずれのセメントもバイト先では置いていないことが多く院長に買ってもらうことがこれまでもありました。DH、DAの方も最近の方は上手く練れないことが多くその度に適当な稠度をレクチャーしています。よく効果を実感でき、私も好きなセメントなので今後も淘汰されないようにせめて私だけでもという思いで日々使用しております。
一つ残念なのは使い切る前に使用期限が過ぎてしまうことでしょうか…笑
今後とも宜しくお願い申し上げます。
Posted by デンタロウ at 2023年01月11日 11:07
デンタロウ先生 コメントをありがとうございます。

なんと、北大のご出身なんですね(平伏)
北大の保存修復は接着性レジン派とGIC派に分かれていると聞いたことがあるような、GIC充填についての記事を読んだことがあるような、ちょっと不確かながらの認識があります。

歯科用充填材としてCRと従来型GICを比較した時、そのユニークな物性から個人的にはGICの方が好きでFUJI\GPを充填で使ってたりします。

硬化反応時に水が必要だけど、硬化反応中は感水するから水が不要で、でも硬化後はその物性が保持されるために水が必要(口呼吸する人の前歯部や口腔乾燥症の人には不向き)とか、リチャージ機能を備えるフッ素徐放性とか、そりゃ松風もS-PRGフィラーを開発しますわね、とか知的な面白さのあるセメントだと思います。

GICのことを好きな先生は多いと思いますが、保険の点数評価が低いことから使用しない向きもあろうと思うので、もう少し点数を上げてくれんものかと思ってたりします。合着用セメントとしても向いてると思うんですけどね。無機セメント万歳

酸化亜鉛ユージノールセメントは市場から淘汰されると私の臨床が困ったことになるので、残り続けて欲しいものです。
Posted by ぎゅんた at 2023年01月17日 19:11
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