思い起こせば、初めての抜髄は左下4だった。研修医の時分である。一年上の先輩が、初めての抜髄なら、と症例を譲ってくれたのである。根貼(RCT)は経験があれど、「抜髄」として最初から最後までやるのはそれが初めてであった。
形としてはできたが、一時間半ほどかかったおぼえがある。経過を追えなかったので、治療後の経過は知らない。非常に勿体無いことである…
この時思ったのだが、まだ単根の5番だったからまだしも、これが6とか7だったら、どれだけ時間を要するのだろうか?そもそも、根管口明示まで、パフォらずに出来るのだろうか?できる気がしないぞ。俺は胃が痛くなった。
幸か不幸か、その後は何故か抜髄症例に会わぬままであった。
治療の方針としては、抜かない・削らない・とにかく歯を残すことを心がけており、間接覆髄、モディファイドシールドレストレーションを数多く行っていた。歯を残すといえば聞こえはいいが、単に罰髄〜補綴に自信がなく逃げ道にしていたのである。
大臼歯の抜髄が怖かった。やれと言われてやり通せる自信がなかった。歯を保存することは絶対だが「やらなくてはならないとき」はやらなくてはならないのだ。
そうこうしているうちに、右上7にレジンコーティング後にインレー修復をした症例(インレーの合着はスーパーボンド)が歯髄炎になったことがあった。自発痛ありで、熱刺激で持続性疼痛ありである。抜髄以外に手はなかった。
自信がないのを悟られないように浸麻して、いざインレー除去、抜髄へ…
終わるのに2時間半かかった。それも、不完全な根管口明示、拡大であった。根管からの止血さえおぼつかなかったと記憶している。出来損ない治療である。俺は自分のあまりの不甲斐なさに失神した…わけはなく、時間はかかったものの、初めての大臼歯の抜髄を終えられたことに満足感すら抱いていたのである。
しかし、二度できるかと言えば自信はなかった。なんとかなるのだろうとは思ったが、不安が残った。しかし抜去歯牙で自主的に練習することはなかったのである。最初はできなくともいずれ何とか出来るようになるだろうと思っていた。しかしそうなるために必要な臨床経験は明らかに不足していたのである。何も考えずにとにかく数をこなさなくてはならない環境の正反対の環境にあったのだ。そのことを意識して、せめて自主練でも、という気になっていなくてはならなかった。
もしこのブログを読んでいる若い研修医の先生で根治に自信がなかったら、とにかく抜去歯牙で練習をして欲しいと思うのである。間違った「型」のまま診療に慣れていくと、自分自身は真面目に治療しても、予後が悪かったり時間がかかったり、余計に難しくしているだけだったりと、診療が次第にストレスになってくる。誰しも楽に早く予後が安定した治療ができるようになるべきである。名医という言葉がある限り医は科学ではないという諺もあるが、それでも汎用的に通用する診療の「型」はあるはずである。
このブログは、その型をEndodonticsのフィールドで模索するための、私にとってのアウトプットとして設けたものである。参考になるところがあるかもしれないし、反面教師の材料になるかもしれない。ご意見・ご感想があればご教示下さい。
次回(こそは)大臼歯、下顎6の抜髄についてです。