2012年03月21日

歯科医を目指した理由は

いかにも受験の面接で聞かれそうなタイトルであるが「初心忘れるべからず」の諺にならってここに記しておきたい。この記事は、殆ど自分の頭の中の情報を文章にアウトプットして、初心を思い起こすためのものである。

一般に考えられる理由には、このようなのものが多いのではなかろうか。
1.親が歯医者だから
2.世間体が良いから
3.裕福な暮らしができるから
4.医師と違って患者の生き死にに直面しないから
etc

など、いろいろ考えられる。
この順番で記載されているということは、のお察しは当たっていて、ぎゅんたの場合は、まず1と2があった。だが、子供の頃からないが歯医者だし自分も、と思っていたわけではないし志望もしていなかった。本格的に歯科医師を目指したいと思うに至ったのは浪人時代である。

父親が歯科医院を(実家に)開業してから自分が生まれた。
子供の頃から「歯医者の息子」と言われてもイジメのネタになったり特別に羨ましくおもわれることもなかった。暮らしぶりは中流より上にいたのだとは思うが、何でも買ってくれたり、旅行に飛び回ったり、外車を有するものでもなかった。金持ちというのは、働かなくてもいいほど、金があり、お金に縛られていない自由人をいうのである。食うに困ったりしたことはないが、贅沢に耽った思い出もないのである。大人になってわかったのは、親族に金の工面を押し付けられていたのであった。

父親のことが特別に好きなわけでもなかった。
家庭でスタッフのだれそれがどうのこうのと不満をいう姿を見ていた。歯科医になることに憧れることもなかった。将来、自分がどのような職につくのか想像できなかったし、歯科医になるには自分の学力が足りているとも思わなかった。満足の行く学業成績ではなかったのである。

姉が一人いるが、姉は成績優秀であった。スポーツも芸術にも秀でていた。自分とは違った。
夜遅くまで机に向かっていた姉の姿をみて、当時の自分は立派だ見習わねばと思いこそすれ、真似できるものではなかった。姉は国立の建築学部から歯学部に進路を変更し、合格した。

高校の二年の時だったであろうか、映画「アウトブレイク」を見て、「ホット・ゾーン」とというノンフィクションドキュメントに興味を抱き図書館で借りて読んだ。衝撃を受けた。時の経つのも忘れて読んだ。ウイルスの研究者になりたいと思った。しかし、その為にはどの学部にいけばいいのかわからない。バイオサイエンス学科とか、生物学部とか、理学部なのか?
そこで進路指導室に趣き、先生(生物担当)にきいてみた。
「ウイルス学者として米国CDCで働きたい?うーん…そうだな、東大の理Vにでも入って医者にならない限りは無理じゃないか?」との応えである。夢は砕け弊えた。
ここで「そうか、目標がわかったぞ。ありがとうございます」と、猛然と勉強を開始して夢を諦めずに追いかければ、今、実現していたのかもしれない。
「人間は、自分がなりたい姿を具体的にイメージし続けて努力することでなることができる」ことを知らなかった。受験とは「合格する」という絶対的な目標がまずあり、成し遂げたいと強く思うからこそ合格を勝ち得る道が開けるのである。そこにはドラマがある。

具体的な将来像も描けぬ自分は、そのまま浪人生になっていた。
ある時、母親に、親父がしている仕事ってどんなものだろう?と訊いた。
根っこの治療が上手いという。ダメになった根っこを治療して、抜かずにまた噛めるように治療するのだと。
見えることのない歯の根の中を触る地道な処置だが、歯を残し自分の歯でながく噛んでもらうために頑張ってやっているのだと聞いた。
俺は衝撃を受けた。そしてちょっとした感動をおぼえたのであった。
本来、抜かれるような歯を頑張って治療して残し、噛めるようにする治療。すごく格好いいじゃないか!

職業に貴賎はなく、どのような仕事であれ他人の為・社会の為になる。だからこそ報酬が得られるのだ。
そう思っていながらも欲張りな俺は、直接的に感謝される歯科医師という職につきたいと思った。
浪人一年目の九月ぐらいに頃である。
そうだ、昔から人を助けるのは好きだった。

こうして、勉強を始めた。
直近の模試でどれだけの合格判定が得られるか頑張ってみよう。
結果として、当時の偏差値で見て最も低い私立の歯学部でA判定が出た。その大学に行きたい気持ちは更々なかったが、結果を見た親父はとても喜んでいた。オイオイ、A判定とはいえ私立だぞ?入学したら莫大な寄付金を要求されるって自分で言ってたやんけ。
と思ったのであったが、喜んでくれる気持ちは純粋にあるのだろう、口にはしないものの、息子が自分と同じ職を志したことが嬉しいのではないか。そう考えた。それなら、もっと頑張って、寄付金の要らない大学を狙うことにしよう。そして母校に合格した。その延長に今に自分がいる。なりたいと思った姿・願ったイメージは実現する。勿論、願うだけでは叶わない。願うイメージに向かって、できることを地道に着実にこなしていく努力が必要なのだ。努力という文字が頭に浮かぶと、いつも夜遅くまで机に向かっていた姉の姿が重なる。夢を実現するのは選ばれたものではなく、信じ抜いたものである。己が欲する真に価値あるものは、容易く得られるようには出来ていないものだ。

俺が処置してダメなら保存不可(抜歯)!と、言い切れるぐらいのエンドドンティストを目指す。
エンドを通じて、患者に幸福を創造する、治らない治せないとエンドに泣く姿はイメージしない。
手早く、痛くなく、すぐに治癒に導けるエンドが出来るドクターをイメージする。…こうしてかくと気恥ずかしいものだが仕方が無い。



余談
姉の勉強の下に敷かれていたカーペット、椅子のあったぶエリアが擦り減ってツルツルになっていた。
それを見た親父は、姉に勉強机を買い与えて本当に良かったと、心底打ち震えるように思ったらしい。親泣かせである。
俺の机に関して述べることはないのは言うまでもないが、だが、親を泣かせる道にそれたことはないだろうと思っている。
姉に比べて立派なことを成し遂げたわけではない自分だが、これで十分だとも思うのである。


自助論 (知的生きかた文庫)
君たち,なぜ歯科医になったの?
デンタルオフィスナビゲーション 勤務医として働くということ―学び・技術・対応 (Welcome to Dental Office)
 
posted by ぎゅんた at 21:12| Comment(0) | 根治(回想) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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