2022年09月22日
日本製の機器は丈夫で長持ち!
モリタのコードレス光照射器『ペンキュアー』は、私が研修医の頃から臨床で使用されていた記憶がある。要するに十数年の、歴史のある照射器といえる。シンプルなデザインで適度な重量で取り回しが良かったので大ヒットした(と思う)コードレス光照射器なのである。欠点があるとすれば、照射部がわずかに大きいことからCRのポスト築造の操作等の時に、隣在歯と接触して被射体に最接近させられないことであろうか。それでも、今なお第一線で使用し続けていられるスペックであり、今日も全国の歯科臨床で使用されているに違いない。なにより重要なのは、このペンキュアー、とにかく堅牢で故障知らずなことではないか。
さてそんなペンキュアー、当院でも10年以上の使用実績がある。故障知らずである。ずっと使い続けている。しかし、バッテリーがへたってしまうことで不調になる場面がある。バッテリー交換というメンテナンスは要するが、バッテリーを交換すれば甦ってまた使用できる。少なくとも、バッテリーの劣化以外の故障は経験がない。鈍器代わりに人をカチ◯っても故障せず何事もなくそのまま使用できるのではないか。過去の任天堂のゲーム機(例えばゲームボーイ、ゲームキューブ)のごとき頑丈さを秘めていそうというか、謎の信頼感すら覚える。
もっとも、バッテリー交換になるとコストがかかるし、決して安いわけではない。
「交換するぐらいなら、安物の照射器を買えや!」という囁きが脳内に響く瞬間でもある。
とはいえ、ペンキュアーの操作感に慣れていると、今更ほかの照射器に浮気する気持ちもあまり起きない。もしいま新たに光照射器を買うにしても、評価の高いVALOのような一級品を買う方が良い。それかCiメディカルで購入が容易なWoodpecker社のものになろう。あまりにも謎な安物は照射強度の面で信頼が置けないからである。また、イチイチ故障されると診療のリズムが狂ってしまい、余計な手間が生じて無駄に時間を浪費することになる。機械や道具というものは、故障しにくく長持ちするものが最良であり、購入者側が優先すべき事項なのだと考えている。大切に使えば世代を超えて引き継いでいけるような道具こそ人類の宝物であろう。直せばまた使える、というのは人類の知恵なのである。
最近読んだ『ヨーロッパで勝つ!ビジネス成功術』にも記載があったが、日本の機械製品ならびにプロダクツは「丈夫で長持ち」をセールスポイントに据えて戦えば良いのではないかと思う。導入時の費用が高くついても、壊れにくく、メンテナンスが容易な設計になっていれば長く使用されていく。そして、その使用され続けていくという実績が比肩なきブランドになるのである。同業者が故障知らずで長く使っている優れた機器を所有していたら誰だって欲しくなるものだ。
2022年09月07日
(作品紹介)砂場の少年
1990年頃の中学校を舞台にした小説。
灰谷健次郎の作品らしく、学校教育とはなにか、生徒に対して教師はどのような存在であるべきかを読者に問う内容になっている。理想の教育とは、このようなものである、という作者の具体的な答えが記されているものではない。作者が理想とする教育像が投影されている物語を読んでみて、読者が推し知るしかない。
読んでみて、私は作者の教育者としての確かに温かい心に触れることができた。多感な中学生にとって、本作の主人公のような教師がいてくれれば、とも思う。しかし、現実的に中学校の先生がみんな本作の主人公のような考えで教壇に立つことはないだろうとも思う。作者にしても、そのことが分かっているだろう。だからこそ本作を書きあげていけたのではないか。それも、辛い気持ちを抱きながら。作者は現場の教育や世の中に絶望していた時期であろうから。
この作品より以前に上梓された『兎の眼』もまた、教育を問うものであった。若々しさの中に生々しい逞しさと美しさのある話であった。
私は大学生の頃に灰谷健二郎の存在を知った。その経緯については、いまでは思い出すこともできない。インターネットでなんらかの情報に当たった際に枝分かれ的に検索をかけた結果として知ったのかもしれないし、図書館の本棚で偶然に出会ったのかもしれない。『兎の眼』は文庫本で読んだ。札幌の古本屋で購入した記憶もあるが判然としない。いずれにせよ記憶に残っているのは、極めて大きな読後感であった。本や読書のことをを「知の扉」と形容することがあるが、確かにあの読後感は、扉から新しい世界を垣間見た感があった。矢も盾もたまらず学友に読書を薦めたが、温かい反応は得られず徒労に終わった。
今なら分かるが、本というものは、他人に薦められたからと読み始めるものではないのだ。
ここの中になにか鬱屈とした問題意識があるときに、風に知らされるように(その本の)存在を知った時にふと読んでみようと食指が動くものなのだ。そうしたタイミングで良書に出会うと、それは大概に生涯の一冊の仲間入りを果たしたりもする。人生において色々と悩んでいる時期に出会う本には印象深いものが多いはずだ。お気に入りの作品の多くが学生時代に読んだ本になりがちなのは、そうした理由によると考えられる。
実子もいまや小学生になった。
子の成長や進路を考えてみたり、昨今の子どもたちの学力低下懸念についての記事を読んだり、世に言う「PTA問題」に実際に直面したり、教育現場のブラックさと教員疲弊の姿を目の当たりにしたりもすると、お気楽に歯医者家業をやって生きているわたしのような愚鈍な人間でも思うところがある。そんなタイミングであるからこそ『砂場の少年』に出会ったのかもしれない。