2020年07月23日

ふと思い出すものである

開業医として歯科診療に従事していると、学生時代の教科書の内容を再確認したくなる場面があったりするものだ。それは、多くは粘膜病変であったり系統解剖の知識であったりする。

このところ、内科学の教科書を引っ張り出すことが多かった。
そして、教科書を紐解くと、あのとき習ったなあ…という感慨深い思いが、当時の断片的な記憶とともに蘇るのである。

歯学部生は大学で主として歯科医学を中心に学ぶものであるが、それ以外にも、例えば「内科学」のような「医学」を学ぶことになる。

記憶違いでなければ私は「周辺医学」という大枠の中で医学を学んだ。それは例えば、皮膚科学や眼科学や産婦人科学、外科学といった、歯科医学とは全くの別ジャンルの講義を受講した、という意味である。おそらく今も変わらないと思う。別の大学から派遣されてきた先生方が講義を担当するのも、おそらく変わっておるまい(私の母校の話)。

当時は学部の3年生で、解剖学実習も終わり基礎的な歯科医学から臨床系科目も学び始めている頃であり、「歯医者になるための勉強」が輪郭をなして目の前に横たわっていることをハッキリと自覚でき始める時期でもあった。

もっとも、それら講義の中には、教える側も教わる側も「まあどのみち単位のためモン」という諦観を否定できない雰囲気があった。歯学部生にガチの医学を教えても…という前提があるからである。畢竟、試験も教科書の持ち込みがOKだったり、出席とレポートで可否が決まったり、運転免許試験のような難易度の試験に終始するものであったように記憶している。相当のモディファイ(手加減)が加えられた内容であったから当然なのだが……。

この中で特に思い出深いのは、外科学の担当の先生が凄い熱意で我々に講義してくれたことであった。札幌医科大学から来てくれた初老の先生であったが、講義にはいつも熱と勢いがあった。それは、その先生が外科という医学を本来的に愛しておられていたからでもあるし、歯科治療は外科処置である、という明確なメッセージをいつも折にふれて強調しておられたからだと思う。

歯学ではなく医学を学ぶというのは、少なからず医学部にコンプを抱く歯学部生を神経質にした側面もあった。この外科学の講義を受けると自尊心が満たされるところがあった。先生も学生と触れ合うのが好きな気さくな方であったから人気があって、講義の後は質問や談笑で学生に囲まれていたものであった。

私の友人の一人は、この講義を通じて自身の卒業後の研修先を札医大(札幌医科大学口腔外科)にすることをこの決め、後にそれを実現した。今はもう連絡もつかないけれど、卒業試験から国家試験まで一緒に勉強に励んだ親しい仲だったので元気に活躍していると嬉しい。
posted by ぎゅんた at 01:20| Comment(0) | 根治(回想) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする