粘膜病変等で病理診断および加療を必要とする症例に出会ったとき、我々は口腔外科への受診を促すために紹介状を用意するのが慣例である。そのときには疑い病名を記載するのも常である。このとき、病名の見当が皆目つかないことほど苦しい瞬間もない。すわ不確かな知識はアテにできんと口腔外科のテキストや専門書を引っ張り出してちょいと格闘することになる(「分からないから診て下さい」なんて書けるか!)。
学生時代、口腔外科で病名を絞り込むワークグループ的講義を受けた際、診断とは、どこかクイズ的な要素があるなあと感じたものであった。そして、確定診断が病理診断で決定されるのも格好いいと焦がれたものであった。実は学生時代の私は病理が好きで、将来は歯科病理学講座に進もうと本気で考えたことがあった。歯科病理学講座に出入りしたり、夏休みに札幌医科大の病理に見学に行ったりしたものだ。しかし、病理像スケッチがあまりに下手くそで意気消沈したあまりに便所で吐いて「やっぱやめ」と断念したのも、思い出す(スケッチが下手だからと進路を変えたのは、要するに本気で病理の道を歩む覚悟がなかったのである。本気なら、スケッチが下手だろうが病理のそばに居続けたいと意に介さないものだ。そして、スケッチの数をこなしていくうちに組織像の特徴をとらえた絵を描けるように育つものだ)。そんなかんだで、開業医になったら、粘膜病変を見逃さない病理に強いドクターになろうと誓ったものである。
定期試験や卒業試験や国家試験では、やれ悪性黒色腫だ、舌に生じた扁平上皮癌だ乳頭腫だ血管腫だ、含歯性嚢胞だ、エナメル上皮腫だ、といったメンツが手練手管、姿形を変え我々に襲いかかってきたものであった。ここまで問題に出てくるということは、実際に頻繁に遭遇するに違いない!こえーマジこえー。とそう感じ入ったものだった。しかし現場に出てみれば、そんな病変たちの姿は何処へやら。目の前の一本の根管治療に翻弄され続ける研修医生活の幕開けとともに病理は頭からすっ飛んで行った。遭遇率は、幸いにして身構えていたほど高くなかったのである。義歯の擦れで生ずるdulとはすぐにお友達になったが…
とはいえ臨床を年を重ねて続けていれば、これはという病変に遭遇するものだ。舌癌といった絶望的な相手に遭遇したことはないが、腺様嚢胞癌、繊維腫、乳頭腫、白板症、扁平苔癬には遭遇している。
「いつまでたってもほっぺた内側のデキモノが消えないんです」とおっしゃられた患者さんのデキモノが記事冒頭の写真。既往や自覚症状や丘疹の所見、丘疹と粘膜との移行部の所見とか各種粘膜病変の特徴との照合から病名を絞り込み、ひとまず「気のせいだから放置で治るよ。へーきへーき」の範疇でないことから口腔外科に紹介することを考え、疑い病名をつけることになる。疑い病名だから正解でなくてもいいのは気楽…なんて発言すると怒られてしまうが、そんな意識がないといえばウソになる。そんなことを思いながら、繊維種ではないかと考え「繊維種の疑い」と記載する。
マトモな紹介先であれば必ず結果報告がくるので、自分の読みが当たったか外れたが分かる。答え合わせするような緊張が走る瞬間でもある。やはり繊維種であった。読みが当たったことに対し嬉しい気持ちになるが、良性といえど腫瘍である事実が残る。忘れてはならないのは、病変を見逃さず、しかるべき機関に患者さんを紹介し、適切な加療が受けられる手助けができるかどうかである。これは開業医の大切な仕事のひとつである。
歯科の疾患の大部分は炎症だから、お前らとにかく炎症に強くなれい!と講義中に我々を叱咤された歯科病理学講座の先生は元気にしておられるのだろうか。すごく、炎症が大部分です…
おまけ
学生時代に買った本(歯科なるほどボウケン学)
研修医の時に井上先生にサイン頂戴し、みごと家宝入りを果たした一冊でもある