生切、というと、乳歯におけるFC断髄法とか水酸化カルシウム法とか、歯科医師国家試験的断片知識が頭をよぎるのは私だけではないはずである。
乳歯ではこの生切(断髄)、しばしば行われるが、永久歯ではあまり行われないようだ。もっぱら、全部歯髄切断=抜髄が選択される。しかしこの生切、永久歯でも症例を選べば有用なテクニックだと私は捉えている。
というのは、臨床的に
1.歯髄は、虐めさえしなければ痛みを訴えない
2.歯冠部〜根管口部までの歯髄除去ができればよい(抜髄に比べれば、術者の技術的なストレスはかなり小さくて済む)
3.知覚過敏症状からの解放に有効
4.これでダメなら、全部歯髄切断に移行できる
こうした事情が考慮できるからである。
私が永久歯の生切を考慮するのは、強い知覚過敏症状を訴える高齢者の場合がほとんどである。高齢の患者さんは痛みに対して我慢強い傾向があるけれども、頬を抑えながら「口をゆすぐ常温の水でも、飛び上がるほど痛いんです」と痛切に訴える方も少なからずおられる。ここで、「たかが知覚過敏程度の痛みで大げさな…」と断じてはならない。この患者さんにとって、知覚過敏の痛みは、日常生活を苛むほどの痛みなのだ。他人の痛みは想像することしかできないことを忘れてはならない。
知覚過敏が認められる場合、食生活の急な変化やTCHを含むブラキシズムの有無をチェックし、患歯に早期接触やバランシング・コンタクトがあればその除去を検討し、歯磨剤を用いない丁寧なブラッシングを励行してもらうことで軽快を期待するのが一般的であろう。しかし不思議とこれは高齢者には効果が得られにくい。通り一遍の知覚過敏処置を行っても、もう一つ効果が乏しいのだ。唾液の働きが弱っているのか、慢性的な刺激で不可逆的な歯髄充血に至っているのか定かではない。若年者の知覚過敏で抜髄を選択することになるケースはまずない。
知覚過敏の対処に抜髄を選択するのは、歯科医師としては歯を明確に殺しにかかることだから避けようとする。私も、そうだ。しかし、高齢者の強い知覚過敏には、その除痛を目的に抜髄を考慮する場面があってもよいと思う。沁みなくなるなら、歯を抜いてくれて構わないと訴えられることだってある。
強い知覚過敏を認めるけれども打診痛を認めない場合に、私は生切を考慮する。高齢者の歯髄腔は狭窄していることが多く、単純に抜髄の難易度が高くなりやすい。そして、体力的に長時間の開口や治療が苦手である。先述の通り、歯髄は虐めなければ痛みを訴えない。根管口までの冠部歯髄を除去し、感染させることなく封鎖してしまえばよいのである。経過不良だった場合は、本来的な全部歯髄切断に移行する余地も残しておける。なにより、抜髄に比べて難易度も下がるし(術者の心理的ストレスも下がる)、術後の一過性の疼痛も生じないし、確実な除痛が得られる点で優れている。最も嬉しいのは、知覚過敏から解放されて喜ぶ患者さんの反応であるのは言うまでもない。
術式にさほど難しい点はない。抜髄処置に感染が厳禁であるのと同様、徐々すべき感染源の徹底除去と防湿が鍵である。ラウンドバーで冠部歯髄を根管口まで切断除去し、根管口の歯髄の上に水酸化カルシウム製剤を無圧的に載せてベースセメントで仮封すれば終わりである(私は水酸化カルシウム製剤にカルビタール、その上に一層、オブチュレーションガッタを敷いてベースセメント仮封している)。次回来院時に知覚過敏の消退と自発痛・打診痛のないことを確認しよう。