2015年11月29日
抜去歯牙慕情
抜去歯で練習していると、その数がどんどん減るのが道理です。ここんところ、実際にその数が減ってきました。
練習に用いる抜去歯牙は、なんでも良いわけではありません。練習への向き不向きはあります。
エンドの練習に限っていえば intact な1〜7番の歯がいいに決まってます。感染根管治療を想定するなら、根充済でコアが合着されているか外れている状態の、保存を想定できる歯が良いです。除冠からやればいいじゃん、と思うかもですが、手持ちでの除冠は時間とストレスがかかることが多いので、少なくとも、私は好みません。それに貴重な貴金属の浪費につながります。コアの除去は、コア除去鉗子があれば除去の練習が捗ります。縁下残根で抜歯したような歯根は、感染根管治療の感触の育成に向いてます。しかし、まずは intact な歯が基本であることは揺るぎません。
抜去歯牙練習されど、所詮は抜去歯牙。練習しやすい歯牙を用いて、頭の中の理想的な治療を再現させることを第一にするのが、結局のところ最も効率が良い練習となりましょう。いきおい、貯蓄された抜去歯牙はどんどん数を減らして行くわけです。
そんなわけで、抜去歯牙は愛護の精神をもって扱わねばなりませんし、破棄されている(はずの)抜去歯牙を集める心が必要になってきます。
たいていのGPは、抜去歯牙をアルコールを入れたガラス瓶にいれておりますから、多かれ少なかれ、抜去歯牙は持っているもの。親しい間柄に限られるでしょうが、不要ならクダサイと頼み込むのが抜去歯牙確保の近道です。ご子息が歯科大に通っておられるとか、同様に抜去歯牙で練習をされているとか、そもそも集めてない、とかでなければ譲ってくれるものです。
つい先日、以前の勤務先で練習用にと譲ってもらった抜去歯牙たちを倉庫から引っ張り出してきました。勤務医だった当時、毎日ではないにしろ、診療後に抜去歯牙で練習していたことから院長先生が快く譲ってくれたのでした。同時に「エンドもいいが、お前、もっと形成の練習せい!」と叱咤を受けたのを懐かしく思います。というか、懐かしんでないで形成の練習もしろってことですね。抜去歯牙をみると反射的に「練習」の二文字が、いつも頭に浮かぶのです。
練習し終えた抜去歯牙はマイコレクション、出来のいいやつは滅菌して飾るのも一興です。猟奇的かしら。そうかな。そうかも…。
2015年11月27日
やろうと思えば誰でも出来る勉強法
どうやったら歯医者さんになれるんですか?
小児以上大人未満の子ども患者さんにたまに訊かれる質問です。頑張ればなれるよ、親も歯医者だったから、本当はお笑い芸人を目指してたんだ…etc。
わりと答える先生のセンスが出ちゃうと思います。
歯科大学を卒業して国家試験に合格すればなれるよ、が正解ですが、きっと、これを訊いてきた子ども患者さんには正解ではない。天上天下唯我独尊的解釈をするに、この質問に対して、暗に期待する返答は、「どうやったらいい成績を取れるんですか?」に他なりません※。
私が一浪して歯科大に入学したとき、同級生には年上が多かった。現役生だらけだろうと思っていただけに呆気に取られました。これが大学か!
医学部受験の滑り止めで歯学部転向方もおられましたし、一度社会人になったけれども、歯医者になるために入学されてきた20代後半の方もおられました。30過ぎている方もわずかに。私のように第一志望で入学しているものはわずかでした。少なからず、もっと上の大学や、とくに医学部を狙っていた連中が主だったのです。彼らは、ずっと雲の上だったような人種であります。というのは、私は受験優等生たちが目指す医学部を受験できるほどセンター試験の点数なんて取れなかったからです。足切り要員であります。センター試験で点数を取れる人を私は尊敬していました。それを吐露すると「あんなの、点とれて当たり前だぞ」とか言われたりするわけで、私は「うわぁ、凄いトコ来ちゃったなあ…」と興奮したのを覚えております。
医学部を狙っていただけあって、彼らは試験勉強に対するテクニックを持っていました。感嘆することしきりでした。試験というのは、決められた範囲内のルールに従って点を取れば良い、極めて平等な制度であるので、点数を取るには明確にテクニックが在るわけです。こんな気持ちの良い、頭のいい連中が受からない医学部ってなんだろうと思ったものであります。
この時に教わったテクニックの中には、やはり共通点があったりするものです。学問に王道なしとはいうものの、試験を突破するための勉強には王道はあるのです。
あー、これが大事なのね、と印象深かったのは、おおよそ、以下の点です。
1.普段の講義を大切にし、重要な点を自分でまとめる
2.その日に習ったことは、その日のうちに復習する(これは面倒だが、ボディブローのように後で効く
3.積極的に他人に教える
4.過去問は極めて重要である
5.早寝早起きを習慣にする
1.は、講義中にノートを取りながらやるのではなく、講義が終わって、まだ頭がホットなうちに一気呵成に仕上げます。分からんことは、当然、先生に訊いて誤りがないようしておきます。これをしておくと、あとで読み返した時に記憶が速やかに鮮やかに蘇り、記憶に定着してくれます。安くもない年間授業料は無駄にできません。
2.これ面倒だけれども、ボディブローのように後で効く素晴らしいテクニック。…テクニックというか、本来、当たり前のことのような気もしますが。これを小学生ぐらいの時からやっていれば、学業成績優秀なのは当然です。
3.人に教えるには、自分自身が充分に理解していなくてはならない。教えること自体が、理解の把握と記憶への固着にたいへん、有利に働く。他人に教えることは自分のためになる大きなチャンスである。なので、出し惜しみもなく、気前よく相手に説明しよう。あいつはいいやつだ!好感度アップ。
4.過去問は未来問でもあって、試験で問われる内容が大きく変わることはあり得ない。出題者の気持ちになれば分かる。なので、試験を攻略するためには、まず過去問を解くことである。また、知識をモノにするためには、実際に問題で解いてみることが近道だ。
5.寮生活をしていた人の殆どが実践。講義に遅れることもないし、余裕をもった行動ができるし、日常生活の均一化が計れる点で素晴らしい。健康にも良い。いいことずくめ。過去現役問わず、優等生連中はだいたいこれ。
こういったことをトライアンドエラーして、自分なりの勉強法を確立させていきました。早寝早起きだけは無理でしたが(今思えば、実に愚かだった)、留年せずにストレートで突破できたのは、この恩恵によるところが大きいです。無勉で試験をパスしたり一夜漬けで突破できるほど私は本番力も頭も良くなかったからです。4年生ぐらいから、国家試験の過去問を始めました。電車での移動中に実践とかいう過去問を開いていたのを思い出します。強制勉強時間です。
歯科医師国家試験と高校受験や大学受験を同列に語るのは乱暴な話です。…が、私は子どもに勉強のアドバイスを求められたとき、以上の体験談を掻い摘んで述べます。「え、そんな当たり前な…」みたいな反応をされることはしばしばだけれど、なにいってるんじゃい、そんな当たり前のことの少しでも、君はやっているのか?といえば黙ります。
しかしまあ、子どもに勉強させる近道ならぬ前提条件は、(その子の)周りの大人が勉強している姿を見せることでありましょう。子どもはなんだかんだで大人を見ているものです。そして、親の真似をするものだからです。
※自虐的精神になって「札束用意して名前を書けば受かるよ」は申し訳ないがNG。子どもからすると歯医者さんは医者とならぶ高学歴ホルダーなのです。夢を打ち砕いてはいけません。
2015年11月13日
私とマニーの手用Kファイル
手に馴染むから
手用ファイルは、マニーのKファイルを愛用している。
他社製品への検討を兼ねて色々と触ってきたが、マニーのKが最も手に馴染む。相性が良い。SEC1-0にそのまま使用できる拡張性も良い(私はまだ所有していないが)。コストは中庸。国産。
いままで参加してくた限りのエンドの講習会では、どこの手用ファイルがいいと名指しはなかったものの、空気読むとジッペラーが推奨されていた気がする。しかし、少なくとも私が色々と使用してきた結果、現時点でのベストはマニーのKファイルである。加えて、この評価は特に#08Kと#10Kで不動である。
根尖へファイルを到達させろ!
感染根管治療においては、前医がネゴシエーションできていなかったり根尖部レッジがあったりすることが多い。すんなりネゴできないのが普通である。だからといって、ネゴシエーションさせないとやはり気分が良くないわけで、手用ファイルを駆使してなんとか根尖からファイルを通過させ、根管の交通を確認・確保したくなるのが歯科医の性である。
ネゴできない根管に対峙したときにまず念頭に浮かぶことは、
1.高度に石灰化している
2.レッジ等でファイルが引っかかって根尖に到達できない
3.GPが極めて緊密に充填されていてファイルをはじき返す障壁になっている
概ね、こんなところだろう。
たまにスーパーボンドでコアを適当に合着したのか穿孔部を塞いだのか知らないが、髄床底〜根管口がスーパボンドで埋まっていて眩暈と殺意を覚えることもあるが、幸い、そのようなケースは稀である。
高度に石灰化している根管は、単純に根管内部が石灰化物の添加で狭窄した隘路になっているなら、RC-Prepを付着した#08Kで押し引き(細かい上下運動)することでネゴシエーションできることがあるのでそれを狙う。ファイルは決して回転させてはいけない。
最初は「こんなの通らないって!無理無理無理無理かたつむり!」だった感触も、ファイルの細かい押し引きによって、次第にズッ、ズッ…と少しずつファイルが根尖に向かい始める感触が得られればしめたものだ。この時、ファイルを引き抜くときは食い込んでいるようで抵抗があるはずだ。そのまま少しずつ少しずつ、ファイルを進めていく。根尖付近まで到達したら初めて、ファイルを僅かに回転させて穿通を狙っても良い。
ファイルが根尖方向に向かっているけど、引き抜く時にファイルに抵抗がなかったり、EMRが、RootZXでいうところの、3.0以下にメーターが触れなければ完全な石灰化で根管が閉塞されているものと判断する。ファイルが到達するところまで水平拡大して、根管洗浄して根充になる。
根尖部にレッジがあることが考えられるならファイル先端にプレカーブを付与して根尖への道を探索することになる。どこかに本来の根管いファイルが落ち込む方向があるはずなので、それを探すのである。プレカーブをつけた#08か#10のKファイルを主に上下方向に動かして探す。ファイルは根管内では回転させたくない。ファイルを抜いて、カーブの方向を変えて、また探すことになる。かなり根気のいる作業である。ある程度の力を加えて穿通が可能なこともあるので、様々な方向に、強弱の緩急を組み合わせて探る。ファイルがどこかに食い込む感触が得られればウォッチワインディングで穿通を狙えたりするのでチャンス到来だが、そう簡単にはいかないの普通だ。エンドの達人は、この作業の嗅覚が鋭い。「あかない根管を」をあけるのは一種の職人技である。患者にとってみれば根尖を器具で触られて痛い思いをしたり、術後疼痛につながることもあるのでとくに感謝もされないことは皮肉である。
なお、「マニーのKファイルだからあけられる」という感覚はない。ただし、ネゴを狙って根管内と根尖部に何度も立ち向かってファイル先端がへし曲がり始めたり、金属疲労が蓄積してボロボロになっていっても、破折しないでくれるだけの妙に頼りになる強度を私は嬉しく感じている。記事冒頭の写真がそれである。折り紙のように根尖部で曲がっても、破断せずに根管から還って来る。この物性に依存して、乱暴なファイル操作をするべきではもちろんないが、破折しにくいファイルを使用しているという信頼感がある点が嬉しいのである。
硬くミイラのようになったGPは、GPソルベントやユーカリソフトで溶解除去を狙うこともあるが、ゲイツドリル等で機械的におおまかに除去したあとに#15Kファイルで穿通を狙うのがベターではなかろうか。根管壁とGPの間にファイルが入ればいいのである。このときは#10よりも#15のほうがコシがあってやりやすい気がする。
エンドチップで除去するのも良い方法だが、マイクロ下でないと除去の確実性はイマイチである。
2015年11月06日
抜去歯のゆくえ
患者さんに訊かれそうで訊かれない質問に、「(歯医者さんは)抜いた歯を、どうしているんですか?」が在ります。
歯には、子どもの歯(乳歯)と大人の歯(永久歯)がありますが、このうち、乳歯は、たいていのお子さんが持ち帰りを希望しますから乳歯ケースにいれてお土産のように持って帰ってもらうことがほとんど。一方の永久歯は、持って帰るという患者さんも少ないわけでして、歯科医院側で処分することになることが多いと思います。
冒頭の質問に返答すれば、「医療用感染性廃棄物として処理する」というあたりになろうと思います。
しかし
確かにそのとーりかもしんないが、いかにもお役所的で冷たい表現です。抜くことになったといえど、直前までお口の中に入っていた、長年を共にしてきた臓器のひとつですぞ。「殺処分といたす」じゃあるまいし、人情に欠けた台詞ではありますまいか。
私は、ちょっと冗談まじりに「(抜いた歯は)こちらで供養しておきます」と答えております。供養といっても塚をたてたりお供え物をくべることはありません。被せ物の除去の練習に始まり根っこの治療や虫歯の治療の練習にあてております。「瓶にいれて集めてます」だと猟奇的なのでNG。石川県は歯科大がないので、学生さんの「抜去歯牙を譲ってください訪問」がありませんし。
口の外でできることを口の中で同じようにできるかどうかが歯科医の腕の見せ所。先天的なセンスはさておき、これは練習量がものをいいます。抜いた歯は素晴らしい練習相手でもあり、教師です。
抜歯した歯と向き合う(治療の練習をしている)歯科医師は、多分、あまり多くないと思います。歯科医師のライセンスを取得して最初の一年はほぼ100%の先生が練習をしますが、二年目になるとその割合は10%に下がり、3年目以降になると1%になるようです(学術的に統計されたものではないので眉唾なところもありますが)。
私がご縁でお知り合いになれた偉大な先生方は、すべからく抜歯された歯で黙々と修練を積み続けられておりましたし、現在も積み続けておられます。これには、ひとりたりとも例外がない。そのことに気づいた私は、抜かれた歯と向かい合い続ける人生を送ろうと誓ったものです。真似っこさんだからです。
そんなわけで、当院では、抜くことになった歯の大部分は、私の練習に用いられております。このことを一言でまとめれば「供養」が該当するかなと思います。
もっといい表現がないかなあとも感じますが、「練習に使ってます」とか直球で答えるのも無粋ですしね。