上顎智歯が急性可能性歯髄炎を起こしている場合、多くは抜歯が適応となる。現代人に於いては、智歯が対合歯と咬合して安定していることが少ないばかりでなく、智歯の根管治療そのものが技術的に困難で予後が悪いからに他ならない。患者さん自身もまた、智歯に痛みが出れば、う蝕〜歯髄炎・智歯周囲炎を問わず抜歯を覚悟して来院する向きもある。
実際に、智歯を抜歯せず、抜髄して保存したケースは少ない。
大きな声で言えないが、急化pulの右下智歯を頑張って残そうとしたが、技術的未熟さがゆえに大きなパーフォレーションを起こし酷い痛みを与えたばかりでなく抜歯になってしまったケースも経験している。黙って墓場まで背負っていかねばならない、私の恥ずべき症例である…。
そんなわけで、患者さんが特別に保存処置を希望されないか(残せる可能性があるなら残したい/将来的な移植歯として残しておきたい 等)、開口量が十二分にあり、立派に植立している智歯でもなければ、根管治療が必要となる智歯は抜歯を選択しているのである。
年明けすぐのことであったが、よい経験となったケースがあったので今回の記事として紹介したい。
う蝕に罹患し抜歯を希望された患者さんの左上智歯を抜歯したのであるが、後出血をきたし翌日に来院されたにである。
この方は中年男性であったが、抗凝固薬を服用したり内科的に出血性素因があるわけではなかった。苦戦することなく抜歯し、止血を確認し帰宅していただいただけ。普段通り、なんら心配することもないケースであった。しかし翌日、血が止まらなかったと来院されたのである。自発痛や発熱はなく、単に出血がジワジワと止まらない状態であった。
口腔内を見ると、抜歯窩周囲がに限らず滲み出たような血にまみれていた。
なによりも、赤黒く柔らかな藻のような新生物(?)が抜歯窩から溢れ出たかのように存在していることに内心ビビった。
学生時代、口腔外科の講義で「不意な出血にも慌てず騒がず、まずは圧迫だ!」と何回も耳にしていたのもあり、まずは圧迫止血を考えた。ロールガーゼを噛ませるのである。8分置く。
…
流石に止まっただろう、と口腔内を見ると血まみれで、あいもかわらず滲み出たような血にまみれていた。俺は胃が痛くなった。
赤黒い新生物(?)はおそらく血餅のなり損ないであろうことは分かったが、ハテ「どけ 邪魔くせえ クソッタレ」と除去していいものか迷った。こんなことは初めてであり、少なくともパニックに陥って冷静さに欠いた行為をとるわけにはいかない。おくびにも表情にはださず、ガーゼの噛ませる位置が悪かったのかもしれぬと再度ロールガーゼで圧迫止血を試みる。8分置く。
…
流石に止まっただろう、と口腔内を見ると血まみれで、あいもかわらず滲み出たような血にまみれていた。俺は胃が痛くなった。
あいもかわらず血が、憎々しく思えてきた赤黒いブツからでているではないか。
俺はついカッとなってやった、わけではなく、このブツは未熟に過ぎて止血の役目を果たさないのだろうと考えバキュームで除去した。結構な量がズボズボ吸われて行って気分良く綺麗に出来たが、しかし、抜歯窩からは当然、出血している。しかし余計なものがいなくなった今、抜歯窩は、浸麻のエピネフリンの血管収縮効果がないだけの状況に過ぎぬ、ここでこそロールガーゼ圧迫止血すれば解決である!
と、再度ロールガーゼで圧迫止血を試みる。8分置く。
…
流石に止まっただろう、と口腔内を見ると血まみれで、あいもかわらず滲み出たような血にまみれていた。俺は胃が痛くなった。
時間は押す、止血は不安。こんなの恥も外見もないと思い、院長に相談することにした。後出血なら、止血じゃまず止まらんから、浸麻して抜歯窩を掻爬して止血剤を挿入して縫合しろとのことであった。
浸麻して掻爬して止血剤を挿入してナートへ…
そういえばずっと前に院長は、出血性素因ある患者の下顎前歯数本を抜歯後、後出血をきたして来院された患者さんにそんな処置をしていた気がする。その時は連続ロック縫合をされていたが、今回は智歯一本分の範囲なので単純縫合2糸でよい。奥なので縫合操作がし辛く苦戦する。縫合の技術不足を恥ずかしいほどに痛感する。
苦戦したものの縫合を終えた俺は、再びロールガーゼを噛ませて圧迫止血を試みた。4度目の正直なんて聞いたことがないと胃が痛くなった。
…
口腔内を恐る恐るのぞくと、全く血がみられず、実にプレーンな状態であった。
いつも通り止血されて見られる光景であるが、なんと美しい光景だろうかと感動を覚えた。この時の衝撃は今も忘れられないのである。誇るべきことなどなにもしていないくせに、恍惚感すら覚えたのであった。
恥ずかしいことだが、正直に書いておきたいと思い、記事にしてここに残す。
ところであの赤黒いスライムみたいなやつの正式名称はなんだろう。
学生時代に習った気がするが、劣等生の脳はとうに忘却しているのである。
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